みなさんは学びってなんだと思いますか?

学習と学びって違いがあるのでしょうか?

多くの人はこれらの2つを混在させていると思います。
でも、僕的な意見では似ているようでまったく似ていない性質の2つだなぁって感じるわけです。

そんなわけで『学び』というものをしっかり書いてある、学びの快楽という本の読書会を対話の先生塾で行いました。

これからの授業の形は変わる

いろんなところで言われていますが、これからはもう教えるだけの授業は終わりになると言われています。

ということは授業の形が根本的に変わってしまうわけです。さらにいうと学校までも変わっていくし、教師というものの在り方でさえも変わっていくことでしょう。

学びとはなにか
進化というか、本質的な在り方に近づくって感じかなって僕は思う。

学びの快楽。学びとは何なのか?

学びの快楽はとても分厚く、読みづらい本です。

主催者の対話の先生塾 塾長のいちさんが本の中身を抜粋してきてくれました。ありがたい。

学びの快楽へ
今まで学びは楽しいものだった。また『復活させる』という意味合いが読み取れる
学びの対話的実践へ
学びとが学習はそもそも同じものなのか?

同じものなのかというそもそもの定義から見直しているのが良いところですね。多くの人は『同じもの』と捉えているところです。

僕の場合は『似て非なるもの』と捉えています。

なぜそう考えているのか?を僕たちに考えさせてくれます。

学びの対話的実践へ
課題は個人から社会へ、共同体によって探求する

僕はここをコミュニティ・スクールも同じことを目指しているなって思ったりしました。

学校にはさまざまな課題がありますが、それをどうしてこうなっているのか?とそもそもから考え、学校というブロックを組み直していく。

それを一緒に探求する仲間、学校運営協議会であり、さらに学校という共同体を通じていろんな人が一緒に考える課題に変わっていく。

だから、大人も学ぶし、子どもも学ぶ。

学びの対話的実践へ
構成主義か?本質主義か?

だんだん剥奪された対話。今の学校には対話が足りないなとはすごく感じますね。

誰のための授業か?

誰のための授業?
『人』を考える授業。教材や、教科書を主体にしてはいけない。

まぁ、当たり前の話なんですが、教科書をやれなんて文科省も言ってないし、保護者も言っていない。

でも、学校の先生は必ずと言ってほど教科書を使っています。

それは学習指導要領で必要なものを『こなす』ことができるから。

でも、本当に必要なのは学習指導要領に書かれていることが『腑に落ちているか』。だから教科書が終わっているからではなく、その子が理解しているかどうかが本当に重要なところだし、その子を重視した授業展開がなされていくことが大切なのかなと思う。(まぁ、クラスにはたくさん子どもがいるんだけど)

学びの文化領域
学びには階段型と登山型の2つある。
学びの文化領域
階段型はつまり、今の学校教育に近いと思われる。人と人の触れ合いを軽視したカリキュラム
学びの文化領域
登山型は目的・目標がある。手段はなんでもいい。

これを見ると多くの人は「登山型のほうが良い」と答えるだろう。

でも、登山型は意外と難しいのだ。

階段型はルートが決まっている。やることも明確。こなせば良いだけ。ただ、習得はできる。

登山型はルートが決まっていない。やることも自分で考えなきゃならないし、教える側はできないことも踏まえて『見守る』姿勢がとても重要になる。そして、知識よりも心(道徳)の教育がすごく大切になるんだろうなぁって感じる。

問い:構成主義か?本質主義か?

学びを問う
話題はプーチンに集中した(笑)

構成主義や、本質主義かは本当は関係ないんじゃないかって思う。
人に注目すれば人によっては構成主義が大切だったり、本質主義が大切だったりもすると思う。

さっきの階段型も、登山型も実際にはどれだけ『その子を見ているか?』のほうがよっぽど大切なんだと思う。