昨日はみんなの学校上映会&木村泰子さんの講演会でした。

めっちゃくちゃ急いでいたらしくて、サーーっと来て、ババーっと帰っていった木村さん。なんだかあの人らしい(笑)。

今回のみんなの学校は結構久しぶり。地域と学校と考える時にステージが上がるたびにみんなの学校を見に行っている気がします。

しかも、今回はいつか話すだろうと思っていた木村泰子さんと一対一で話してからの講演会。

講演をする人と知り合いになっておくと、また違った形で講演が見れるものだなぁとしみじみ感じました。

今回、大事だなぁって思ったことはたくさんあったんですが、『安心・安全の場』です。

どうしたら安心・安全の場が作れるか?ということを深く考えてきた木村さんだからこそのエッセンス。

今回はここが深く入ったので、シェアしておきます。

一人だけ安心な状態でも学校に来れない

ここはたしかにそうだなって思うことです。

大空小でのエピソードを一つ話してくれました。

木村「私(校長)がついてくるから大丈夫!安心して学びにおいで!!」
子ども「校長先生、あのな、トイレにはついてこれるか?」
木村「いや、トイレは難しいな」
子ども「そうじゃろ?だから無理やねん。先生、ずーーっとは側におれんじゃろ?だから学校に行くのは無理やねん」

木村泰子さんの言葉

おおー、たしかにそうだなって思います。

僕が中学校に行けなかった時、安心安全の空間は相談室にいる先生のみでした。

クラスには戻れませんでした。

なぜなら、小さな光がいっぱいあったとしても、大きな闇がたくさんあって、光を飲み込んでしまうから。

闇のほうが大きすぎてクラスは非常に危険だと思ってしまうのです。

それは人がいなくなれば…ということもあったかもしれませんが、その人達自身を信じることがもうできなくなっていたんだと思います。

そうすると僕にとって安全な場ではない。そういう場所があると、クラスではなく、別の場所を探します。

たまたま僕にとっては相談室ということだけだったんだなと。

もし、この相談室も辛く苦しい場所であったなら…僕は学校自体行かなかっただろうと思うのです。

振り返ってみると僕はそうだなって思うし、この子どもは素直にそれを分かって表現していた。それもすごいことだなって思うのです。

不登校は子供にとって失礼な言葉。みんな友達が行ってる学校に行きたい。

木村さんはこう言います。

不登校は子どもにとって失礼な言葉なんですよ。行きたくなくて行けなくなってる子ってほとんどいません。みんな友達が行ってる学校に行きたいと思っているんです。

木村泰子さんの言葉

僕もそうだったなと。

そして、今、中学校に通っている長男も学校には行けていません。

でも、本人もどうして行けなくなってしまったのか分からないと言っています。

ただ、最近、学校に自分の意志でいけるようになってきて、学校に少しの時間滞在し、友達と話すようになって、土日はたまに遊びに行くようになったりしています。

つまり、学校に行きたくないというのではないんだということだなと。

一人で遊ぶって案外つまらないものです。何をしたら良いか分からない。

ゲームと言っても、ゲームだけずーーーっと一人でやるのは結構しんどいです。やっぱり友達と一緒にやるからゲームは楽しい。

※最近はオンラインなんかもあるけどね。

学校に言って、ディスコードのフレンドになって、パソコンで友達と会話している。

良いじゃない。全然孤立じゃないよね。

大人は不登校にするのは可哀想!って言うかもしれないけど、やっぱり自分の子だけを見ているとそうなっちゃいがちですが、周りの子が不登校ということを理解できないことが可哀想なのかもしれないとも感じます。

本当に大事なのは学校に行けなくなってしまった子をなんとかするのではなく、学校に来ている子たち、先生の気持ち、行動、態度を改め人間的な成長をさせること。

そうやって安心できる人たちだらけになったら、学校には自然に戻ってくると思う今日このごろです。