対話の先生塾で神奈川県私立高校3年生の渡邊すみれさんによる講話がありました。
すみれさんは生徒という立場で、校則を変えたりと…尽力しています。
たしかに校則は学校によって違って、意味の分からない校則もある気がしています。
今、子どもたち自身が「おかしい!」って思っていることや、どうしたらそれを変えられるのか?というヒントを教えてもらえたので、それをメモってみました。
何かの参考になれば幸いです!
校則による閉鎖的な教育空間とは
価値観が変わらない。風土も変わらない。
すみさんの言葉
閉鎖的=社会に開かれていない。知られていない。
同調圧力も強くなる。
すみれさん自身が言っていた言葉。
たしかに一つの価値観に染まった学校は危険だなって思います。
特に、時代は変わっているのに学校は変わらない。見直しすらされない…というのはちょっと厄介だなって感じますね。
何かあれば学校に連絡する…
すみれさんの言葉
生徒が道幅広く歩いていたら、学校に連絡。
成績どうなった?も学校に連絡。
先生の負担が増えている。
コミュニティ・スクールの余裕がない。
これは学校あるあるな感じ。
成績は分かるにしても、道幅広く歩いていたら学校に連絡…っていうのは連絡先が違うんじゃない?
地域の問題なのにそれを学校の問題と捉える地域の大人がよくないと思います。
地域の関係性が希薄になって、どこに連絡して良いか分からないというのは理解できます。でも、それは自分たちで解決できるし、そもそも、道幅いっぱいに歩いていたからと言って、「迷惑。通報」という思考がストレス社会だなぁって感じざるを得ないかなぁ…。
閉鎖的になればなるほど、それが同調して変わらない。
すみれさんの言葉
同調できないとはぶかれる。
いじめの構図になってしまう。逃げ場がない。
集団への配慮を気にするあまり、個人的な時間の確保もできない。
閉鎖的になると良くない課題点はたしかにって納得しました。
うちの子も不登校ですが、「何を言っても変わらないし、求めているものは社会にない」って思ってたりします。
そのまま大人になると「何をやっても、何を言っても無駄」って思考のままだったら何もやる気起きなくて当然。
失敗しても良いからやってみようって一緒に支えてくれる人(親や、先生が一番近いかな?)が必要だなって思います。
校則など閉鎖的になる影響
学校内部の一つの社会であり、ルールが絶対的になってしまう。
すみれさんの言葉
自分が意見を言えば社会を変えられる…って思っていない。
ユニセフのテーマレポート、38国中。
身体的幸福度 1位
精神的幸福度 37位
身体的幸福度、1位だったのか、日本(笑)
むしろ、そんなに健康に気を遣っているのに精神が病んでいるっていうのがめっちゃチグハグ…。
「こうあるべき」論が強すぎるんじゃないかなって思いますね。
校則に関わる学校の現状
「学校の評定をもらうために我慢」
すみれさんの言葉
「どうせ変わらないし」
「3年我慢すれば良い」
校則…なんでそれがあるの?
⬇
理由は分からない。生徒も知ろうとしないし、先生も理由は分からない。
先生も意味分からないものを生徒に分かれっていうのは、おかしすぎるでしょう(笑)
分からないなら分からないって素直に認めて、一緒に考えるって機会が重要かなって思います。
変えることがすべて正しいとは思わないけど、コミュニティのルールを作ることに教育的な価値があると思う!
すみれさんの言葉
これをすみれさんのような生徒から出てくることがすごいなって思います。
僕もそう思う!
校則による閉鎖的空間の教育的影響の質疑応答
Q.他の学校の校則はどう?
基本は当てはまっている。
参加者(高校3年生 女性)
Q.髪はどう?
巻いちゃいけない。降ろしててもいいけど、巻いちゃだめ。
Q.化粧はオッケー?
もちろんダメ。
Q.携帯はオッケー?
オッケーだけど、持ち込んだら先生に預ける。
帰りに返してもらう。
基本的に学校の校則は似たようものが多く、厳しいものが多めですね。(全学校がそうとは言ってないけど。)
っていうかICTとかがオッケーになってきているのに、ChromebookはOKで、スマホはNGっていうのがもう破綻している気もします。
書いてる暇があったらスマホで写真撮るとか、効率的な授業ができそうな気がするんだけどなぁ(事実、僕はそうしてるし、先生の話をしっかり聞けるから理解も早い)
Q.パイロット界ではどう?
規則はある。機体に行くにはナナメに向かっちゃいけない。
参加者(航空会社勤務 男性)
垂直に動くって分かっていればパイロットは安心する。
規則には大事な理由があるはずって感じます。
ですよね。
ルールはルールにした経緯があるハズ。それが分からないのに適用させようとするから、歪みが出てくるんじゃないでしょうか?
Q.現職の先生に聞きたい!
基本、教育界は保守的で、前年度踏襲。
参加者(教員 男性)
校則が必要な時、荒れてる時代に校則が厳しくなった。
その時の校則が前年度踏襲で歪みが生じている。
何も考えずに引き継ぎをしてしまっているから良くないですよね。
まぁ、ルール作った本人もいないから経緯も分からないんでしょうけど…。
そもそも、分からないものをデトックス(ルール改定する機会)しないと積み重なる一方ですよね。
内規改正って成績の付け方とかいろいろあるけどね…。
参加者(高校教員 男性)
いろいろ揉むけど、前年踏襲が多いね。
校則は個人的には外したほうが良いなって思う。
もうちょっと生徒にまかせて良いんじゃないの?って思う。
校則を守るのは生徒たち。結局、迷惑かけたくて生きている人はあんまりいないので、生徒の意見を聞いて、作らせることには教育的価値が高い気がしますね。
Q.妥当でない校則もそのままになっちゃったのか?なぜブラック校則?それが子どもたちにどのように影響を与えているのか?校則の効果、先生と子どものギャップがあるんじゃないか?
校則がある自体、校則は変えられないって思う。自分の社会を作れないんだって思ってしまう。
参加者(高校3年生 女性)
対立を生み出す原因なんじゃないかって思う。それが一番の問題点かなって思う。
校則の効果は微妙ですね。むしろ、これを聞く限り悪影響しかない。
誰を守っているんだろう?
Q.校則が厳しいことをウリにしている?
入試の前の説明会で、ちゃんと指導しますよ!って言っている。
すみれさんの言葉
納得して入ってきたんでしょ?って言う。親は評価して入れている。
「親はそういう校則おかしいよね」って背中を推してくれた。
教育虐待とかって言葉を聞いたりする。厳しく育てることで良い大学に行けるって思っている親が多い。
校則を変えたくないって生徒もいる。
時代に合ったものにしたいとは思う。問われている。
理念に沿ったルールはあったほうが良いと思います。それが目指す児童像に直結するからです。
でも、そのビジョンが曖昧でとにかく「明るく素直で元気で賢くて優しい人を作る」みたいな、いろんなもの詰め合わせた完璧人間を作ろうと思うと、人間はそんなに完璧にはできないので破綻する。
その辺りの矛盾が校則にはよく現れているなーって思います。
社会は変わり続けている。学校は変わらない。むしろ逆行して厳しくなっている。
参加者(教員 男性)
何を生徒指導するのか?
生徒指導と表裏一体なんじゃないか。
生徒指導の本来の意味を考えさせられますね。校則に合っていない…ではなく、その子がその子らしく生きられるように指導するのが生徒指導であってほしいと思います。
『しつけ』、『管理』は学校の仕事なのか?
そんなわけでみんなでディスカッションをした結果がこちらです。
大事なことは
- 先生は指導・管理する立場ではなく、生徒が困っていることを真摯に受け止め、勇気づけをしてくれる存在であってほしい。(学校や、立場よりも、子どもの味方であってほしい)
- 校則を変えるには子どもの『行動』が不可欠
- 本当に反対しているのは校長じゃなくて、管理職の先生
- 管理職の先生が納得するには、これだけ困ってる人がいるという実情が分かるデータが必要
- 次年度は変わるタイミングとして最適
- とにかく生徒自身が問いを投げることが大事。それを先生がサポートしてくれたら学校はもっと良い風に変わる
先生方は管理したいって気がするのはよく分かります。でも、校則は生徒が作る!
理念として本当に大切な部分だけは先生が守り、それ以外の細かいところはみんなで作っていく…というほうがやりやすいのかもしれませんね。