弘道館と偕楽園の楽しみ方って知ってます?これがモノホンの水戸の魅力じゃ!
- 2015.09.29
- 茨城県

どーも、ぐにです(^^♪
この間、ReMITO100という水戸の魅力をまとめたガイドブックを片手にたくさんの人で茨城県水戸市を回ってきました(‘ω’)
たくさんの場所を回ったのですが、私的には弘道館と、偕楽園がメインのような気がしたので、その二つを紹介します。
目次
日本遺産認定!弘道館とは?
実は弘道館は重要文化財としてだけでなく、日本遺産として登録されていることをご存じでしたでしょうか?ここでは弘道館の良いところをちょっとだけ紹介(‘ω’)ノ
重要文化財!弘道館の門
旧水戸藩の藩校である弘道館は、徳川斉昭が推進した藩政改革の重要施策の一つとして開設されました。
出典:弘道館
弘道館は学ぶ場所として作られました。教育の施設としてだけでなく、武術を学んだり、自然科学も学んでいたようです。
最初は1841年に仮で開館され、1872年に閉鎖されるまでおよそ30年とかなり短い期間の学校ですが、生涯学習を目的とし、「人生で生き続ける限り学び続ける」と考えていたようです。
写真の戦火を免れた正門、正庁、至善堂は重要文化財として認定されています。
日本遺産に認定される学び舎としての弘道館
美しい庭です。
斉昭の漢詩『弘道館に梅花を賞す』には「千本の梅がある」とある。現在、敷地跡は梅樹約60品種800本が植えられており、梅の名所となっている。
出典:wikipedia
梅はとても大事にされ、目で見て楽しみ、食して有事の備えに使われました。水戸で梅が大事にされているのは徳川斉昭の教えのようです。
ちなみに弘道館と偕楽園は「近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-」という日本遺産に登録されています(‘ω’)b
我が国では、近代教育制度の導入前から、支配者層である武士のみならず、多くの庶民も読み書き・算術ができ、礼儀正しさを身に付けるなど、高い教育水準を示しました。これは、藩校や郷学、私塾など、様々な階層を対象とした学校の普及による影響が大きく、明治維新以降のいち早い近代化の原動力となり、現代においても、学問・教育に力を入れ、礼節を重んじる日本人の国民性として受け継がれています。
出典:水戸市公式ホームページ 近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-の内容
弘道館と偕楽園は対と言われている割には大分離れた場所にありますが、これは有事の際に高台から敵が来たことを知るためです。偕楽園は低い位置にあるので、攻められても守れるような取り組みを幾重にも張り巡らせています。徳川斉昭は非常に策略家でもあったのです(‘ω’)
心身共に休める場所。それが偕楽園
偕楽園にも行きました!ここはまち歩きのラストだったので、この頃にはすっかり夜に( ゚Д゚)
この日は中秋の名月だったのでかなり幻想的な偕楽園を見ることができました。
入る時には正門から入ると違う楽しみが!
これが偕楽園の正門「好文亭表門」です。写真を見ても分かると思いますが、その先の門からはかなり暗くなっています。
徳川斉昭は対にすることが好きらしく、陰と陽をハッキリとさせています。あまり明かされていませんが、陰のエリアは木々が高く、かなり暗い印象になります。
逆に陽のエリアは梅の木が植えられ、木々もそれほど高くありません。そのため、日光が差し込みやすく明るい印象となっています。これは歩いてみると分かります。
弘道館と偕楽園も同じ考えなのでしょう(‘ω’)
陰エリアのご紹介
孟宗竹林と呼ばれる場所です。ライトアップでとても綺麗。有事の際はこの竹を弓として使えるように竹を植えたそうです。
吐玉泉と呼ばれる湧き水です。高度差を利用した湧き水で、かなり珍しい湧き水かも(‘ω’)眼の病気に聞くとの話ですが、飲み水としては使用しないほうが良いとのことでした。
なんかこの画像めっちゃ気に入ってます。太郎杉と呼ばれる樹齢800年以上の杉です。次郎杉(?)は台風の影響で折れてました、残念|д゚)
中秋の名月イベント!
ディズニーではありません。偕楽園です。なんだか幻想的な空間でした(‘ω’)
画質が粗い…!申しわけありません。iphoneの限界です……笑
まとめ
弘道館、偕楽園共に魅力がたくさんありました!昼だけではなく、夜に行くのも良いですね。
この二つの要所で表した四字熟語が「一張一弛」という言葉です。弓に例えており、張りつめるだけでは糸が切れ、弛ませなければ弓として使えないという意味です。
今の日本は張りつめっぱなし、緩みっぱなしと両極端な印象があります。張りつめるのも大事だし、弛ませることも大事なのです。そのバランスが今の日本人の心に必要なのかもしれません(^^♪
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