毎週火曜日の夜21時から対話の先生塾にて学びと対話の会に出席しています。
今回は教員養成課程…。大学院生の佐藤雄一郎さんがお話してくれました。
教員養成って僕ら一般ピーポーにはまったく知らない、分からない世界なので興味深い!
今回の話はとても難しい話となりますが、今後、教員はどんなことを大学で学ぶのか?を知り、どうしたほうが良いのか?を一緒に考えていければ幸いです。
教職ってどのような職業?
専門職だろうって思うけど、専門性ってなんだろう?
佐藤さんの言葉
教師が塾の先生とか、公民館の講師…他との違いってどこが違うのか?
ジェネラリスト⇒日本
スペシャリスト⇒アメリカ
専門職っていうのはいろんなことをできる存在じゃない。
職務の細分化、分担化をどう考えるのか?
専念するってことが大事。
しかし、日本の教師はいろんな仕事が多岐に渡っている。
教師の仕事の補助を行う職員を配置する。
総合性を残したまま、教師の数を増やす…どっちが良いかな?
アメリカだとできないことはできないってちゃんと言えるんですね。
日本はそんなことが許される雰囲気はあんまりない…っていうか、保護者がそうじゃなきゃ困るって思っているのかも。
一体どうしてそうなってしまうのか?っていうと、保護者自身も圧迫的な教育を受け、社会に出てもストレス社会であり、そもそも会社を抜けられる余裕がない。子どもを見ている時間がない…。
もしかしたら文化の違いなのかもしれないなって思います。
教職をどのような職業だと捉えるか?
学歴の上昇をどう捉えるか?
今の教師は「どうせ…」って立場がどんどん弱くなっている。魅力がなくなっている。
佐藤さんの言葉
医師、看護師は非常に良い。
教師が教師として学ぶ時間をしっかり確保する必要があるけど、時間をかければかけるだけ脱落者も増えていってしまうのも辛い。
士が付く士業、師って付く士師業は基本的に立場が良い…というか、待遇や給料が良いイメージがありますが、その中でも教師と呼ばれる職業はたしかにものすごく悪いイメージになってしまった印象があります。
めっちゃ頑張って勉強して先生になったのに、自分の時間はないし、ストレスにさらされるし、給料も低い…。
「いったい何のために頑張ったんだ」って報われない気持ちになってしまうのも頷けますね…。
昔は給料も良かったのに…一体どうしてこうなってしまったのか…というと、相次ぐ不祥事や、士師業ではなく公務員として見られすぎてしまったのかもしれないなと素人ながらに感じます。
「俺たちが稼いだ税金を持っていきやがって!まともに働いてくれよ!」って言う人も多いので、すごい人っていうよりはなんかいつの間にか立場が逆転してしまったようなイメージさえあります…。
教師に教養教育は必要か?
教養教育っていうのは人格と人格とのかかわりの中で、子どもの人格形成を促す仕事。
佐藤さんの言葉
生活指導を促す上で、関わり方が大事。
教養は必ずしも必要ではない気がする。
あくまでも教員養成学会のメンバーとして佐藤さんはお話されていましたが、一般教養を身に着けて、学校の先生になってから実践的な学びをしたほうが良いと言っていました。
ただ、僕個人の意見としては大学で必要なことって一般教養は2割もあれば良いんじゃないかなって思ったりします。
それよりもなぜ一般教養が必要なのか?ってこれから教師として働く意思や、軸を考えさせ、どのような先生になっていくか?という自分自身を探求する時間を大学ではやってほしいなーって思ったりします。
そもそも受かるための勉強は大学で一区切り付くような気がしていて、今後人生をかけて教員という仕事をやる…そんな時に教師をどう捉えるか?ってめっちゃくちゃ大事な気がするんです。
受かるための学習は大学に入ったら一旦終えて、社会人として、大人として、自分を見つめ直す最初の瞬間であって欲しいなって思います。
っていうか、そんな時間が教師になったらなかなかないと思うし、教師になってからやっと実践的な学びっていうと、最初に受け持った子たちが「え、先生、もしかして知識しかないんですか?」ってすごく不幸になる気もするんですよね〜。
まぁ、ここは考え方がそれぞれあると思うので、対話すると非常に面白いところだなって感じます。
教員養成課程に求められるもの
どの程度免許を柔軟にするか?
こんなにたくさんいて、専門職って言えるの??
佐藤さんの言葉
専門性まである、多種多様の免許制度。
圧倒的に多い養成機関数。
1727校も教員養成課程が多い。
なる人はいても、教師にならない人もいる。これで専門職って言えるの?
量を優先しようって思うけど、教師の質を担保するには大学の養成が必要。
たしかになり手が少ないんで、学校が回らなくなってきています。
でも、質を高めると人が減る。
ジレンマだなぁって思います。
ただ、僕の意見からすると質を高めたほうが良いと思うんです。
教育は必要なもので、教員以外の人でも子どもたちに学びを与えたいと活動する大人は結構います。
そういう大人たちと協力すれば量はいるんですよね。大事なのはその中心的役割、教育のハブとかファシリテーターになれるような人物がこれからの先生の役割じゃないかなと。
教えるだけの先生はもうそろそろ時代が終わった感があります。
教員養成課程が目指す先
abcdが教職の高度化。
佐藤さんの言葉
大学では学問的なことに集中しても良いんじゃないかって言われている。
子どもがいなかったら実践的なものは学ぶことは不可能。
基礎をもって現場に入っていく、その中で学び続けていくことが大事。
探求者として活動していくことが大事なのかもしれないなって思う。
子どもがいなかったら実践的なものは学ぶことは不可能…そりゃたしかにそうだなって思う反面、子どもがいるところに入っていければ良いんじゃね?って思ったりもしました。
そういうことが教員養成課程で少ないからこそ、何を学ぶべきかも見えてこないし、自分の実力を感じる機会もない…。
昔、学校の先生を目指す大学生を引き連れて学校支援チームを作ったことありましたが、そこでは本当に「大学では学べない、感じ取れないことが学べて実際に教員になるイメージができた」ってフィードバックをもらえたこともありました。
つまりはそういう経験が教師を目指す学生にまったくない…というのが実際の現場とのギャップに耐えられない原因になっているのかもなと。
そのギャップを埋めるのはすげー大事な活動だったのかもしれないって感じました。