教員支援というワードを掲げて活動していても、意外と外から学校の内情を知ろうと思ってもカンタンにはいかないものです。

そんな中で学校の先生と直にお話する機会は貴重です。

特に普段は大きな研修や、勉強会に参加しないような先生とは地域ではほとんど出会いません。若手となるともっと出会う確率は低くなるでしょうか。

そんな中、生涯学習課のGさんに誘われて、若手教員の情報交換会に出てきました。

今回はそこで話し合われた内容から僕自身が気づいたことをシェアしたいと思います。

地域はもっと受け入れる気持ちを持っていかないといけない

そもそも先生は『同じである』と感じる人とはよく話すな〜と感じています。もちろん、人には類似性の法則という「同じ」と感じるものには親近感を抱きやすいのですが、その傾向が強いなと思っています。

共通点を見つけたとたんに初対面の相手と打ち解けられた、という経験はありませんか。「類は友を呼ぶ」というように、人は自分と共通点を持つ人に親近感を覚えます。

自分と共通点を持つ人に親近感を覚える心理作用を、心理学では「類似性の法則」といいます。類似性の法則は、相手との共通点が多くなるほど強力に作用します。

類似性の法則で信頼を得る〜似た者同士が引かれ合う心理学 – マケフリ

今回、参加した場では言いにくいことや、モヤモヤしていることをじっくり話していて、「不安だ」、「苦しいんだ」、「嬉しいんだ」みたいなことがかなり積極的に議論されていたなーと。

若手教員 模造紙
実際に出し合った模造紙。先生の本音が結構かかれている気がするがどうだろう?

普段の場でそれが起こらない理由はそもそも学校は地域・保護者に抑圧されている環境に置かれていることと、責任が重くのしかかっている(と感じる)場だからかなと。

それを地域に向けて話してほしいけど、「それは立場上難しい」ってどうしても拭えないのかもしれないです。

やっぱり先生同士は「あるある」とか、同種だと思っている人たちの前でしか話せないんじゃないかって感じたのと、地域がもっと受け入れるような気持ちになっていかないと先生たちは話せないままだなと感じました。

先生は「心配かけさせてしまっている」を気にする職業かもしれない

今回の会でよく出ていた言葉は「心配かけさせてしまっている」という言葉です。この言葉が出た時の共感度合いが非常に高いのが印象的でした。

誰しもある気持ちであると思うのですが、「親に心配かけたくない」、「パートナーには気を遣わせたくない」とかそういう気持ち。

でも、そうした気持ちって『こうありたい』という気持ちともセットで言われていることが多いんじゃないかなと思うのです。

自分もそうだったし、今でもそんな傾向はありますが、その傾向が特に強いのが先生という職業なのかなーと。

その気持ちに支配されていると、思い通りの力が発揮できない、結果的に周りをさらに心配させてしまうという悪循環に陥ったりする。

セルフ・コンパッションが低い人の『こうありたい』『こうあるべき』という自分の姿は,非常に厳格な人物である。セルフ・コンパッションが低い人は,困難なことがあっても自分に優しい言葉をかけるなどもってのほかで,厳しい態度で臨むほうが良いとか,そもそも自分などは大切に扱うべきでないと考える傾向にある。その結果,困難な状況でも自分自身を労わることはせず,自分を批判的に見て厳しい言葉をかけ,結果的に不安や怒りや悲しみといった感情に圧倒されてしまう。また,自分だけがこうした苦労をしている,誰も助けてくれないといった考えにとらわれ,他者から孤立した状態にある。自分と他者を区別して,人を助けることはしても,自分を助けることはしない。その中には,自分の気持ちを押し殺して,自分のことを後回しにして,ただ人のために尽くすことを美徳とする人もいる。しかし,人のことだけを気遣い,感情を抑制して生活していると,自分が何をしたいのかすら分からなくなり,落ち込みやすくイライラしやすくなる。家族のため,会社のためにと思って働いても,『こうあるべき』自分を演じながらやっていると,「やらされている」ような状態で本来の力が発揮できない。自分を責めたり,相手を怒鳴ったりして苦しむだけでなく,失敗を重ねて迷惑をかけたり周囲の人を心配させて,結果的にお互いに不幸になってしまう。

セルフ・コンパッションと「あるがまま」 – 公益財団法人 日本心理学会

これは自分の気持ちから生み出された感情なので、本人の感情のコントロールがうまくできれば良くなるかもしれないですね。

例えばマインドフルネスとか、ヨガとか。

意外とこういう系は先生たちはほとんどやらないのかもしれません。そういう機会を提供するのも良い機会かもしれないですね。

「学校に来てくれれば…」はもっとハードル低くて良いんじゃない?

今回、僕が先生に向けて助言を唯一したのが「学校に来てくれれば良い」という言葉です。

今、不登校がいっぱい増えていますが、多くの先生は「将来が心配だなぁ」と思っているのが当たり前なので、ハードルを下げて「学力なんか気にしなくてもイイヨ!」的な意味で、「学校にさえ来てくれれば…」という言葉で落ち着く感じになってました。

でも、不登校児をたくさん抱えている僕の家庭からすれば、『学校にさえ行くのも辛いなら、学校にも行かなくて良い』というスタンスです。

結局、将来を周りが気にしたところで、人生の責任をとるのは本人です。人生を交代してあげることはできません。

なので、「生きててくれればそれで良い」という心構えで接してきました。

その結果、長男は小学校6年から中3までの期間が不登校でしたが、結局、自分で道を高校を選び、今では通信制の高校に入って、朝は自分から起き、レポートを真面目に提出し、100点を取っているようです。

学校の先生がその姿を見ることはできませんでしたが、結果的に復活しました。これが正しいかはわかりませんし、誰にでも当てはまるわけではありません。

ですが、絶対に前よりは良くなっていますし、何よりも本人の意思でちゃんと進んでいると自分も周りも感じられているのがわかります。

誰かが手を引っ張ったわけではなく、ちょっとした声かけと背中を押すだけでも人は変われるんだと実感しています。

そういう点でも、先生たちに「学校にさえ来てくれれば…はハードルが高すぎます。もっとゆるくていいですよ。」と僕の気持ちをそっと添えておきました。

どのように届いたかは分かりませんが、なにかしらの変化が生まれてくれたのであればよかったなと思います。