今日はブログからお問い合わせがあり、「地域の人に校則について聞こう!」という高校生からの要望でお答えしてきました。
話を聞いてみたら授業だったみたいで、これまた不思議な体験でしたが…。
今回は二人の高校生から校則について質問いただいたので、どんな風に答えたかを振り返ってみます。
そもそもブラックとはなにか?
「ブラック校則についてどう思いますか?」と質問を言われた時、僕はそもそも【ブラック】とは何か?ということを高校生たちに問いました。
ブラックとは、誰が色をつけているのか?
それはそれぞれの持つ価値観であると思うのです。
自分はブラックだと思っていても、ある人にとってみたら、それはホワイトかもしれないのです。
例えばリモートワークで会社に行かなくていいよ!ってルールになった時、会社に行きたくない、満員電車に乗りたくないと思っている人はホワイトなルールだと思ったでしょう。
でも、会社にいる女の子とお近づきになりたい!会社が楽しくて仕方ない!会社にいったら家から出られる!なんて考えている人もいるかもしれないのです。
そうしたら会社に来なくて良いというルールは、その人にとってみたらブラックなルールになってしまう。
それは校則も同じこと。
ブラック校則のなにがブラックなのか?
では一体、どういったところがブラックか…というと、ルール自体がブラックかホワイトか…ではなく、そのルールの目的や、意図を誰も理解できていない上に、変えられないものであった場合、それはブラックだなって思います。
ブラックというより、【アウト】って感じがしますが…(笑)。
例えば納得行かないルールがあった時、「なんでこんなルールを守らなきゃならないんだよ」って思うはずです。
それを知っていそうな人…作った人に問うはずです。
でも、その人が
「なんとなく」
「え、なんでだろうね?」
「ルールなんだから、とりあえず守っておけば良いんだ。つべこべ言うな」
とか言われて、話しも聞いてくれなかったり、その答えるべき人でさえもルールがなんであるかが分かってなさそうだった時…。
それは想いや、目的のないルールに成り下がります。
そうした時にルールは【ブラック】と呼ばれるものになるのではないかと僕は思います。
厳しい校則はどうメリットがあるか?
そうした時、厳しい、辛いって思うルールがあった時、どう捉えると良いのか?
それはやっぱり目的ありきだと思うのです。
例えば、健全な精神を作る!!という目的で学校が立てられていた場合、夜遅くまでスポーツをする!!みたいなものが常習化していたとしたら…
それは本当にブラックなのか?と言われたら、意味があってやっているのかもしれませんよね。
その目的にあったルールであるかどうかが非常に大切である。
それを確認することがまず大事。
ルールがダメなことに気づいたら自分から声をあげてルールを変えるキッカケを作る
その上で、「厳しいな」「辛いな」って思ったら、声をあげて良いということです。
この高校生たちは嫌だなと思うルールの一つに、校内ではスマホ禁止!というものが変だと言っていました。
それはどうしてか?と聞くと、「校内で調べ物をしたいと思った時に使えない」という。
もしかしたら、それは時代に合っていないのかもしれない。
じゃあ、もし、その校内でスマホを使うということで先生が怖いと思っているところはどこか?を突き止め、その解消をして、みんなが学力向上のためにスマホを使いたい!と生徒全員が言ったとしたら…先生としたら首を縦に振るのではないでしょうか?
結局、ルールは所詮ルールであって、【変えてはいけないものではない】と思うのです。
今を生きている人たちが全員でなるべく調和して、楽しく生きるために作るのがルールです。
ダメなルールがあったとするならば、そこから自分はどうしたいか?を問われるのがメリットかなと思いました。
ということで今回は高校生たちと話して、自分も良いお勉強になりました。