最近は、地域とともにある学校づくり推進フォーラムが近づいてきたこともあり、そちらのほうでバタバタと動いております。
10月は大分県で行われますが、オンライン配信も予定されています。
ガッツリ準備しておりますので、皆さん、お楽しみに。
さて、いろいろとチャレンジを行っていると人は迷ったり、悩んだり、苦しんだりします。
では、そうした時、なぜ私たちはそもそも苦しんでいるのか?ということも気にかかるわけです。
「わざわざ苦しまなくても良いのでは?」、「放っておけば良いじゃないか!」という声も聞こえてきます。
でも、迷って悩んで苦しんで、魅力的になると思うのです。
なぜわざわざ苦しむことをする?
もちろん、地域とともにある学校づくり推進フォーラムというのは大きな舞台です。
わざわざ高い山に登らなくても良かったかもしれません。
でも、私はこう思うのです。
挑戦させていただいている…と。
迷って悩んで苦しんだ分、成長する
たしかに悩むこともあるし、苦しいこともあるし、迷ってみんなに迷惑をかけてしまうこともあります。
でも、そうやって迷ったり、悩んだり、苦しんだ時間は無駄でしょうか?
僕はそうは思いません。
なぜなら、僕はそうやって成長してきたからです。
苦しいことを敢えて受け入れてきたからです。
苦しいことをどうして引き受けられるの?
どうしてそもそも苦しいなって思うことを引き受けられるのか?というと、2つのことがあります。
①成長している自分が楽しみだから
僕はこれだけをずーーっと昔からやってきたんだなって思っています。
本を読むのは嫌いな僕ですが、いろんな成長をして、弟子までできたり、たくさんの講座生に対して教えるようになったり、講演をさせていただく機会も増えてきました。
ここまで成長できたのは、『体験』が大きかったからだと思います。
知識や、経験は他の人より圧倒的に足りなかったと思います。
でも、僕はその辛い、苦しいを敢えて引き受けて体験をして、その上で自分がどうしていくか?を大切にして、成長してきた。
そうしてできるようになっていく自分を感じて、僕だってできるんだなって思えるようになってきたのです。
だから、他人が面倒なことを喜んで引き受けるというクセがついているのかもしれません。
その分、他の人が知らなくて良いことまで知っているし、浅いじゃなくて、深いところまで知っている。
それが生きる上で役立っていると実感します。
②苦しいことの先の感動や、到達した世界を目指しているから
もう一つは苦しいことの先にある世界への到達を目指しているからです。
僕の理想の世界は『誰もが認め合い、縁を紡いで、最高の絆を作り、1%ずつ自分のありたい姿を目指せる空間づくり』です。
それは一生かかっても到達しないかもしれません。
でも、到達するかもしれない。
そうやって信じて目指すことは僕自身で選べます。
だから、苦しいことでも耐えられる。意味がないと思うことでも耐えられる。面倒だなって思うことでも耐えられる。
僕は僕らしくありたいと強く信じられるのです。
そうやって迷って悩んで苦しんでいるからこそ、魅力的な自分に出会えるのかなって思います。
まぁ、苦しめって言うわけではないんですが、迷った時は大変そうだなって思うほうを選ぶのも人生を楽しく生きる一つのポイントかなって思います。