うちでは妻が保護猫活動をやっています。僕はたまに送迎や、猫たちと仲良くなることをやっています。

数多くの猫を見ていくと、どうしても死に目にぶつかることがあります。

今日もそんな日でした。

特に子猫は生存率が低いようにできているらしく、どんなに手を尽くしても10匹生まれても生き残るのは半分くらいまで減ってしまうようです。

これはウイルス系などもありますが、先天的な持病のようなものを持っている子が多いようで、昨日まで…というか、数時間前まで元気に走り回っていた子がアッサリと死んでいくということがあります。

今日も昨日までは元気だった子猫が死にました。

昨日は家の中を走り回っていたのに、今はもういない。

兄弟たちも体が弱かったのか、同じような症状で死んでいきました。そして、タイミングは違いますが、その子も同じように死んでいきました。

今回は朝に気づいたので、病院に連れて行って、精密検査までやって、点滴もやって、炎症を抑える薬も打ちました。

だけど、結局、復帰することはありませんでした。

そう思うと、「周りがどんなに手をかけてもダメな時はダメなんだ」っていうことも同時に思ったのです。

これは生き死にもそうですが、生き方であってもそうです。

こちらがどんなに手を尽くしても、結局はその本人がダメだったら良い方向に行くことはない。

でも、こちらが頑張らなくて良いかってことでもありません。

今回はあらゆる手を尽くしました。

前の子は夜だったので病院にかかれませんでした。見守ることしかできず、苦しそうに亡くなっていったことを覚えています。

今日の子はほとんど苦しまず、逝った。そして、僕もいろいろやったし、仕方ないよなって気持ちも残りました。

そこに後悔はありません。

結果はダメだったけど、経過は最善だったと思います。

本当に生き死にというのは、自分がどう生きるのか?ということを揺さぶられます。

「自分がもし、明日死ぬと言われたら、今日はどんな生き方をするだろうか」

そんなことを考える今日このごろでした。