今日はT-KNITのメンバーが4.5.6月生まれの方向けに誕生会を開いてくれました。
めっちゃ面白くて楽しい時間。
でも、誕生日を迎えた方をお祝いしつつ、その人を知ろうとすること。
これをやってくれたのがめちゃくちゃ嬉しいなぁと思ったりしました。
※ちなみに僕も5月なので祝われる側でした。
今日感じたことは剛だけでなく柔も必要ということです。
ワイワイしたことは望んでいないというのは人を理解しないのと同じかもしれない
コミュニティに所属しているとありがちなんですが、「私はワイワイしたことは嫌いなんで…」という方がいます。
もちろん人それぞれの価値観なので、それはそれで構わないかなと思うのですが、ワイワイすることも必要だなと思ったりします。
仕事の時だけ来ますみたいな状態を剛とすると、お互いの理解を深める時間が足りません。
仕事の時、ほぼその人の人生や価値観に触れることはないからです。
その人を理解できるのは、気が緩んだ時。
喫煙所の雑談、コーヒーブレイク、飲み会など…気が緩んだ時こそ、その人自身が顔を出す瞬間です。
そこに顔を出さないというのは、その人自身との絆が深まらず、本当に苦しい時に助け合える存在になりにくいのかなと思ったりするのです。
一張一弛の考え方
水戸黄門として有名になっていく徳川家には徳川斉昭という方がいます。
その人の考え方で、一張一弛というものがあります。これは、「弓は張り詰めすぎても切れてしまうし、緩めすぎても矢を打てない」ということを表した言葉です。
これを人に当てはめて、学ぶための弘道館と、休むための偕楽園を作りました。
つまりどっちも大切な要素としてあり、コミュニティにはこの要素を絶対に入れないといずれ人が壊れてしまうと僕自身は感じています。
学校では子どもたちには剛と柔がありますが、学校には先生たちもいます。
その肝心の先生の世界は剛しかなく、張り詰めすぎて糸が切れる人が続出していると思うのです。
もし、剛だけでは組織は成り立たないことを意識して、剛と柔のバランスをとり続けていく…これが大事なことだなと感じる今日この頃でした。