今日は社会教育主事講習で一緒に学んだ人たちとの交流会が開かれました。

で、やっぱり社会教育士の称号を得ても何も変わらない、「ここで社会教育主事講習受けてきた成果を見せないとな」と嫌味を言われてしまうということもあるようで、やっぱり校長など役職に就かないと何もできないんじゃないかって思っているようでした。

いろんなしがらみがあると思うし、大変だなって思うこともあります。

これを受けて、じゃあ、どうしたら打破できるようになるか?を考えてみました。(あくまでも個人的な考えです)

権限とは

そもそも役職や、リーダーに割り振られる権限って何なのかってことを考えたいなと思うのですが、僕は最終的にカッコいい姿を見せれる権利があるかどうかだと思うのです。

何言ってるんだって思うかもしれませんが、リーダーであろうがなかろうが、仕事や、やることは結局誰が何をやっても良いものです。

ただ、役職が上だからその人に出番が回ってきやすいだけで、仕事は誰がやっても良い。

要はしっかり、価値あることを世の中に提供できるかどうかなのではないかなって思うのです。

ただ、その中で失敗することはある。うまくいかないことはある。

そういう時に

「気にするな。俺が責任を取るからな」
「今から俺が解決するところを見とけ」

って言えるのは実はリーダーや、上の立場の人しか言えません。

つまり、リーダーや、上の立場の人はこれを言うためだけに存在していて、その他の活動は別に誰がやっても良い。

役割分担はあるかもしれないけど、役割分担を飛び越えないと『協働』ってことは不可能じゃないかなって思うのです。

役割は超えていくもの。結局は、目的に向かって、一人ひとりが今できることを行うことが大切なのではないかって思ったりします。

僕は権限の壁をどう乗り越えてきたのか

ちなみに僕は過去、権限の壁をいろいろと乗り越えてきました。

  • 地域(しかもその地域に住んでない人)の立場からコミュニティ・スクールの設置をした
  • ICT支援員では1年という枠でしか働けないところを2年に伸ばした

などなど、いろんなことがありますが…

一番は、ICT支援員の時に行った一太郎問題でしょうか。

先生たちは一太郎を使いたがります。(これは教育関係あるあるです)

しかし、教育委員会は一太郎を廃止して、ワードにしようとして、学校のすべてのパソコンから勝手に一太郎を削除しました。

「なんで削除したの!!」
「仕事にならない!」

なんて声が出ていて、僕はじゃあ、どのように一太郎を使っていたのかを学校に聞き、そして、教育委員会にもどうして一太郎を消したのか?などを聞きました。

そして、お互いの妥協点を見つけ、結果として両方が仕事がしやすいように一太郎ビューアーが導入されることになりました。(どっちも満足しました)

この時、僕はただの一契約社員でした。

でも、部長どころか、教育長を巻き込んでみんな納得できる道を探して、結局、みんなが幸せになれる道が見つかった。

上の立場の人であろうとも、一契約社員の言葉を聞き、心が動いたのです。

つまり、下の立場の人は気持ちや、行動次第で、上の立場の人を自由に動かせる権限を持っているということでもあります。

もちろん、すべてがうまく行くときばかりではありませんが、本当に大事なところはどこなのか?を見極めて、話ができる状態なら話をして、環境を整えていく。

お互いがが何を考えているのか、どうしてそのようにしているのかを知って、その気持ちを伝え合うこと。

それができれば、相手の気持ちは動くんだってことを知っておいてもらいたいなって思います。