「理想を失わない現実主義者にならないといけないんです。理想のない現実主義者ならいくらでもいるんですよ。」
これは宮崎駿さんの名言です。
学校運営協議会の場では働き方改革の話はよく出てくるのですが、地域の重鎮さんや、元校長先生というのはなまじ学校教育をよく知っているものだから、ついつい学校の事情を考え、現実的な意見を言ったりします。
「増やすばかりで学校の働き方改革と逆行する」と意見を言うのです。
しかし、その言葉は多くの傷跡を残すことになります。
せっかくやろうかなと思っていた人たちの火を消し、提案は『答え』を求められ、誰も意見できなくなってしまう。
これでは、地域学校協働は生まれないし、学校の真の働き方改革なんて夢のまた夢でしょう。
では、協議会の場でそのようなことを言われてしまったら一体どのように捉えればいいのでしょうか?
今回は『コミュニティ・スクールで現実主義者をどう捉えるか』についてお話します。
学校は地域学校協働によって負担は減るのか?
今、学校は捨てている最中なんですが、なかなか捨てるものが見つからない…という学校は多いと思います。
地域を巻き込んで何かをする…と言った時、大体の場合は学校の業務は増えます。
地域と連携したり、地域からの提案を聞いたり…、これはコーディネーターがいようが、業務が少しずつ増えてしまうのは当たり前のことです。
しかし、逆に負担感は減っていきます。保護者や、地域は理解者が増え、今まで行っていた小さな業務から開放され、やるべきことをやれるようになっていく。
つまり、働く内容はそこまで減ったりしませんが、働きやすさは格段に良くなると感じるのです。
学校の都合ではなく子供の都合を考える
何かを始めようと思った時、「新しいことを増やさない」という選択は「やりたい」という気持ちになっている人を消極的にさせ、気持ちを萎めてしまいます。もちろん、学校教育に新しい仕組みを入れるのは並大抵の気持ちではできないでしょう。
ですが、世の中を見てみた時に子供たちの側が学校の枠にすでに収まっていない。
今までの考えだとついつい子供たちを学校に如何にして戻していくか?という考えが主流にありましたが、それ自体がすでに古いものになっている。
そして、その動きが『不登校』という動きになっていると思うのです。
アップデートしていかないといけないのは大人であり、学校です。今、変わらないと学校教育はおかしな方向に向かっていきます。
現実という側面を学校の都合だけで見るのではなく、もっと世の中全体を見て、時にはそういう現実主義者とも本気で議論しなければいけないなと感じます。
現実主義者の考えをアップデートの機会にする
もちろん、現実的な意見は大事です。しかし、その話を聞いて「無理だ」「じゃあ止めよう」ってなったら今までと変わりません。
では、どうするか?
そのような現実的な意見を聞いた時には
「それをすれば良いんですね」と考えるのが大事だなと思います。
現実主義的な意見をくれる人は、その現実を捉えたこと以上のことをすると反論することができなくなる性質があります。
良いステップアップの機会にさせてもらって、やることは変えない。
やることは変えません。小さくやるか、大きくやるか。
その2択で進み、「やらない」という選択肢を作らないのがとても大事なことかなと思いました。