ソルティーです。
最近、うまく行っているコミュニティ・スクールがあるという話を聞くと、強烈なリーダーがいる時の話をよく聞きます。
しかし、実はこのリーダーというのが曲者で、良い時ばかりではないんだなと思うことがあります。
実はリーダーシップを発揮しすぎると、コミュニティが形骸化する傾向が強くなるのではないかと思っているのです。
今回はそのようなお話をします。
強力なリーダーシップを発揮すると自律性が低くなる
これは非常に難しいところで強力なリーダーシップを発揮すると自分で考える能力がかなり低下するなと思っています。
これはいろんなコミュニティを見ていて、そして、自分でもやっていてかなり思うところがあり、反省も踏まえて書き出してみます。
リーダーに依存しやすくなるため
強力なリーダーがいると、そのリーダーに依存してしまうようになります。もちろん、プロジェクトとしてはうまく行きます。
何もしなくてもプロジェクトは進んでいくし、自分がちょっとやっていけばいいかなって気持ちで参加するからです。
でも、それだけではリーダーが辛くなっていったりします。
それがプロジェクトという終わりがあるものだったら良いですが、団体などの場合は終わりが基本的に終わりがない。
そうした時、リーダーが決めてくれないと動けないという脳を働かせず、成長が止まってしまう方が多くなっていく傾向が強かったなと思います。
リーダーに合わないとコミュニティを追い出されてしまうため
これはコミュニティとして非常に難しいのですが、リーダーに合わないとコミュニティを『追い出される』ケースがあります。
本気でそうしようとは思っていないのですが、無意識化で「あの人合わないよね」という雰囲気が作られるようで、村八分のような状態ができあがり、結果的に居づらくなってやめるというケースがあります。
これはコミュニティとしては非常に課題が大きく、リーダー一人の力ではどうしようもないこともあるのですが、
力が強い、カリスマ的なリーダーの場合、「あの人に逆らうなんて…なんでここに来たの?」みたいな風潮になりやすい傾向にあるなと思っています。
合わない人同士で喧嘩からの分裂が起こる
価値観がすべて同じ人というのは存在しません。コミュニティを作った時、必ず価値観が違うもの同士が出てくるのですが、この違いを認めようとせず、自分を理解して欲しいばかりに喧嘩になってしまうことがあります。
最終的にグーとグーで殴りあって、分裂が起こることがあります。
これは力が強く、権力が強いリーダーの場合、このようになるケースが多かったなと思います。
嫌だなと思っている火種がじわじわと大きくなり、反対勢力としてできあがってしまうこともありました。
お互いに消耗することもあって、ずっとは続けられないなと思ったりします。
安定期に入ったらリーダーシップではなくエルダーシップを大切にしたい
最初、いらないと大きく出ましたが、リーダーシップは力強く、物事を推し進めるためには非常に効果的だなと感じています。
これは初動や、改革期など、何かを始める時に必要な力だと僕は思っています。しかし、安定期に入り、これからどうやって進めようか?って考え始める時にはリーダーシップを抑え、エルダーシップを発揮するほうが良いなと思っています。
エルダーシップは周りの人間の気づきによって、推し進める力のことで、物事の良い面と悪い面を俯瞰的に捉え、次の一歩を見出します。
これはコミュニティ・スクールの学校運営協議会の運営ではなくてはならない能力だと言われ、僕自身もこのエルダーシップを発揮できるように特訓中です。
でも、これからの時代を生き抜くために必要な能力だと思っています。
ということで、ちょっと喋りすぎました。
今日はここまでにします。