NPO法人 教員支援ネットワークT-KNITの正会員限定で哲学対話を2週間に一回という頻度で行っています。

今回は『理想の職員って?』ってテーマでした。

『そもそも職員って何?』
『コミュニケーションが上手な人じゃない?』
『部下からも好かれる人でしょう』

いろんな対話が生まれてきて、自分の中から湧き上がるものがあったので書いてみたいなと思います。

今回お話するのは『教職員』というイメージを持ってお話していきます。

視座が広いと『他者を認める』ができる

まずは視座の広さ。これはさまざまな経験をして、「今、私がやっている(考えている)こと以外の方法もあるだろう」と感じること…と表現すれば良いでしょうか。

たびたび話題に上がるGさんですが、元先生です。現在は社会教育主事として活躍もしていますが、目線が鷹の目のように感じることがあるのです。

「そういうこともありますよね」
「そんな考え方もありますよね」

自分は良いとは思っていなくても、他者の生き方、やり方を否定せず、まずは受け入れてくれる。この行動ができるのは中々ないなぁと思います。

すべての先生ではありませんが、教職員は目線が一直線になっている方が多いです。

「◯◯をしちゃダメ」
「◯◯が良いと思う」

他者の考えや、理由を聞かずに自分の意見だけを押し付けてしまうと『あなたのことを信じていません』と伝えることにも近くなります。

どんなことをやったとしても、そして言ったとしても『まずは受け入れる』。そんな教職員がいたら良いなと思うし、自分自身もそんな人間でありたいなと思うのです。

人生の目的を持っていると『諦めない』

自分の人生の目的を持っている人は強いと思います。

「こんな世界を実現したい」

視座の広さにも関係すると思いますが、人生の目的を持っている人は自分だけではなく、他者…というか自分に関係がない世界の人のことまで考えて行動しているなと。

そういう人は落ち込んだ時の復活が早かったり、諦めない姿勢がある。

先生は「先生になりたい」という意識を持って就く方が多いです。でも、同時にその先がない方が多く、漠然と先生の業務をこなすだけになってしまっているような気がします。

「先生になりたい」は良いのですが、人生の目的にしてはいけない。大事なのは自分の人生かけて行う使命を達成する手段として先生になっている人になること。

これは人生を楽しむ上で最も大事なことじゃないかなと思います。

プライドを捨てると『人間関係が良好』になる

プライドがない人は人間関係が良好だし、教え方がうまいし、児童・生徒に好かれる人だなぁって思ったりします。

高校教員であるT先生は

「自分(T先生)のおかげでできた!って思わせないように教えるのが大事だと思っています。
そうしないと自分の力を信じられなくなっちゃうでしょ?」

と言っていました。

本当にすごい先生って教え方がうまいんじゃなくて、教え惜しみがうまいんだなって思うのです。これって「自分が教えなくちゃ!」って思っている人には絶対できません。

これは自己肯定感と同じ話じゃないか!?と感じる人が多いですが、真逆の性質を持っていると僕は思います。プライドが高い人ほど自己肯定感が低い

ある程度までは教えて、最後の最後は自分で考えてやらせて「自分だけの力でできた!」って思わせる。プライドがあると最後の最後までどうしても教えてしまいます。

だから、T先生は「最後は自分がいなくても大丈夫って思ってもらって卒業してもらえるようにしています」とのこと。これは多くの先生は言うことはできるけど、実際にやっている方は少ないのではないかと感じています。

そういう先生は他人との衝突も少なく、結局、児童・生徒からも好かれています。プライドが邪魔をすることがないので、自分から衝突しにいったりすることがないなと感じます。

こんな教職員がたくさんいたら、子どもとも、保護者とも、地域とも、同僚ともトラブルは少ないんじゃないかなと感じます。

理想は人によって違う

ここまで実際にいる人を思い浮かべながら理想の教職員を書いてきましたが、これはあくまで僕の理想像です。

この話が「そうだよね!」って思う人がいる一方で、「そんなことはない!」って思う人もいるでしょう。

理想は全員違う。むしろ違っていい。

でも、組織・チームとして理想の教職員像を話し合って固めていくということが学校にとって大事なことなのかなと思います。

学校では職員研修があると思いますが、教えてもらう研修に使うのではなく、自分たちで考える研修に使って、チーム力を高めることも忘れないでほしいなと思う今日このごろです。