明日後悔しない生き方をする
タイムバジェットという考え方があります。
この瞬間にも僕たちは死にどんどん近づいています。
明日、僕はもしかしたら死んでしまうかもしれない。
もしかしたら、明日妻や、子どもがいなくなる可能性もあるかもしれない。
そして、コミュニティメンバーの誰かが欠けるかもしれない。
そういう時に
「あぁ、もっと◯◯しておけばよかった」
って後悔することがないようにしたいなって。
タイムバジェットとは時間予算。
お金に関する感覚はみんな持っていると思うけど、時間も予算があるという考え方を持っていない方は多いです。
僕はあと50年生きられるかもしれない。
その時、85歳。
その時は教育がかなり変わっていて、僕はのんびり妻と隠れ家で隠居しているハズです!
そう思うとあと50年で成し遂げたいことはたくさんあります。
順序立てて、この年までにこれをやっておきたい…って計画を作ると人生ってあっという間だと言うことが分かります。
人生には時間の限りがある。
その限りある時間の中で何ができるのか?何をしたいのか?考える。
この時間間隔を持つことは人間が人生を楽しむ上でめっちゃくちゃ大切なことなのです。
どんな風に死にたいかを考える
これは「自分が死ぬ時、どんな風に死にたいか?」を考えるというものです。
問いは2つあって
- 自分が死ぬ時、何を残して死にたいか?を考える
- 自分の葬儀で参列者にどんなことを言ってもらいたいか?
ということ。
僕の場合、残すのは『志』でありたいと思っています。
それは自分が生きた証…ではなく、脈々と自分の想いが受け継がれ、その人を通じて、自分がまだ生きているということが大好きだからです。
死しても尚、心の中にその者は消えず。
それってなんだろうって考えた時、
「あの時、こんなすごいことを言ってもらった…」
「あの人と出会って人生が変わった」
「あの志を継いで生きたい」
そんなことを言ってもらえたら僕は感無量です。
これをデス・エデュケーションというのですが、この意識を持っていると自分は無意識化でそういう風になるように行動できるようです。
つまり、そんな人生になるってことを自分で選択できるってことですね😆
あなたはどんなことを言われたいですか?
タイムラインの外側から自分を見る
学校の先生はとにかく「忙しい」というのが口癖になってしまっています。
事実、忙しいと思います。
謎のアンケート
保護者への連絡
宿題の丸付け
明日の授業準備
授業研究
児童・生徒の人生相談…
もう挙げればキリがないんですよね。
でも、よーく考えてみて欲しい。
忙しいのは『教員だけではない』のです。
サラリーマンも
フリーランスでも
はたまた専業主婦でも
必ず生きていれば何かをやっています。
つまり『みんな同じように忙しい』ってことです。
24時間は平等に与えられ、必ず何かをやっています。
そうした時、『忙しい』のはあなたが創り出した感情であるという事実に気付いて欲しいのです。
簡単には気づけないと思いますが、忙しいって言わず、敢えて切り離して、じっくり内省してみて欲しい。
※僕もこの思い込みは会社員で朝8時から深夜の2時まで毎日働いたあの時では気づけなかったので、難しいとは本当に思います。でも、気づくことが大事。
有給使って温泉行くのも良いでしょう。
大丈夫、それでも世界は回っています。
ゆっくり時間をとって、人生を謳歌してみる。
こういう忙しない日常から一旦離れて、いつもの忙しない日常を振り返ってみる。
そうすると日常の生活が、時間予算の中でどのような意味を持っているかが見えたり、考えられたり…そして最後には気づくことになります。
「これって本当に僕がやる必要あったんだろうか?」
って。
そこが本当の働き方改革の一歩です。
他人の人生ではなく、自分の人生であることを自覚する
人生が面白くない
つまらない
思い通りにならない
こんな風になってしまうことがあります。
こんな状態だと、ついつい他人の動向が気になります。
Twitterや、Facebookのタイムラインをさかのぼって
「あぁ〜、あいつは良いなぁ。こんなにうまくいって」
そして自己嫌悪します。
「どうしてこんな人生になってしまったんだろう?」
これは昔の僕だったりします。
何も決まってなくて、なんかうまく行っているような友達を見て羨んでしまう。
でも、この時の僕は盛大な勘違いをしていました。
『人生終わった』って勘違いです。
まだまだ人生これからだったりします。
何しろこの時は30歳手前でした。
人生を一日で例えるなら、まだ朝の10時です。これから活動開始の時間です。
今の自分の生活や、環境はすべて自分が行ってきた選択の結果だった。
だから終わったとか考えちゃダメだ!まだまだこれからなんだ!!
そう思って自分の行動の責任は全て自分でとる決意をしました。
僕は事前に物事を深く考えられない人だったので、ぶつかってから深く考えるということにし、たくさん失敗をして、たくさん大変な思いをしました。
そして、僕の人生は大きく変わりました。
それは他人を羨んだりする、他人の人生ではなく、自分が主役の人生になった。
決意や、責任をとる覚悟は自分の幸せにつながる第一歩なのです。
自分にとって大切なものを自分で決める
フリーランスになった時、怖かったのが「僕ってこんなに稼げない人だったんだ」って思い知ったことです。
知られてなければ、仕事もなく、必要ともされない。
なのにどうやって仕事を見つけてくれば良いかも分からない。
ここで
「誰かが1を作ってくれた環境を良くすることで幸せを感じていたけど、自分で0から1を作り上げるって並大抵の努力じゃできないんだなぁ」って思い知ったのです。
自分の意志で決めて、ひとまずやってみて、改善を加えてまた次をやる。
これは教えてもらおうってことでもなく、選んでもらおうでもなく、自分の意志で全て決めました。
選択肢を広げるために、さまざまな経験をしたり、いろんな人に会ってみる。これも全部自分の意志で決めました。
そこから会う人に「これはこのほうが良いかもね」とか、たくさん言われたりもしました。でも、言われたことを全部受け入れるのではなく、自分の意志で取り入れる箇所を決めました。
そんなことをやっていると、一日の終わりが夜中になる日ばっかりでした。
でも、不思議と疲れませんでした。
それは自分が成長していると実感できたし、これをやれば信じている頂上にたどり着くかもしれない!という希望があったからです。
人間って出口のない道の途中だと元気がないけど、
どんなに疲れてヘトヘトだったとしても光が見えると頑張れる。
そんな生き物だって実感できました。
そう、自分にとって大切なものを自分で決める。
たったこれだけのことなんですが、これが会社や、組織にいる時は見えませんでした。
自分で選択した『つもり』になっていました。
自分で何もかもなくして初めて「自分は0から生み出せないんだ」って自覚でき、そこを徹底的に磨いた。
実はそれが人生を楽しむためのスキルの1つだって知ったのはあとのことです。
今、会社にいる方、組織にいる方、学校に所属している方、
そういう肩書をすべて捨てて、生身の自分だけで勝負できる領域に一回は踏み出しましょう。
かなり悩むし、苦しむと思います。
でも、そこに本当に幸せが詰まっています。
まず行動する
言葉にするのは簡単ですが、これほど言うは易く行うは難しって言葉はないと思います。
ここでよく見て欲しいのが、”まず”って言葉です。
何かあれこれ考えると思います。
悩むと思います。
特に人生の決断をする時に、この”まず”ができる方は実はそれほど多くありません。
学校の先生を見ていると、この”まず”ができてなくて現状が変わらないことが多いようです。
「言ってることは分かるよ。けどね…」
「根拠が薄いんじゃないか?」
「やることで意味なんかあるのか?」
「実績はあるのか?」
もう、やらない理由を作るんじゃなくて、そろそろやる理由を作ることが大切です。
さっきの言葉はこういう風に変換しちゃいましょう。
「言ってることは分かるよ。じゃあこれだったら…」
「根拠がないなら作っちゃおう」
「やったあとで振り返って意味を見出そう」
「実績がないからこそチャレンジだ」
そうじゃないと何年経っても、「あぁ、変わらないかなぁ」って願っているだけでどんどん歯車に順応していく自分になっていってしまいます。
あれこれ悩んだり考える前に、まず一歩足を踏み出してみる。
間違っても
「自分にすごい力が身についてから始めよう」
「何かの啓示があってから始めよう」
なんて思わないこと。
そんな風に思っていたら一生始めることなどできはしません。
自分の培ってきた経験則で作り上げた領域はコンフォートゾーンと言って、非常に成長が薄くなります。
「怖い」
「失敗したらどうしよう」
なんて思っているところが実はあなたが望んでいる世界が待っている場所。
だって、まだたどり着いていないんだから今の場所に望んでいる世界があるハズがないのです。
自分の存在意義を見つける
これはどこに行ってもそうなんですが、ただの歯車になるか、本気でそこにコミットできるかの違い。
それが自分の存在意義を見つけるということです。
人はどんな場所でも存在意義を欲します。
家族、友達、仕事場、サークル…
どんなところでも自分は役立てる人でありたいと実感することを無意識で願っていたりします。
で、ここで大事なことが大体、なぜか人が集まってくる人と、なぜか人が集まらない人がいます。
どちらも「役立ちたいです」って言っています。
この大きな差はなんなのか?
それは『受け取る』という意識でいるのか、『施す』という意識でいるのか?という差かなぁって思っています。
受け取る意識の人は
自分の話しだけして、遮り、困っている人がいても知らんぷりで、見返りがないと動かないし、これやったら喜ぶだろうなって人を見て、何か文句を言って動きを止めてしまったりします。
こういう人は金や、物は集まったりするケースもありますが、人はなかなか集まりません。
逆に施す人はよく話すし、聞くし、困っていたら率先して手をあげて、見返りを求めずに動くし、これやったら喜ぶだろうなってことを何も言われずに勝手にやります。
そういう人は人も金も物も集まっているなーって。
施す人は、誰かに何かを言われてやるっていうよりは、存在意義は自分自身で発掘していく人だなぁって思ったりします。
これは学校でも同じ、職場でも同じ。
どんなコミュニティでも自分の役割を即座に自分で決めて、役に立っていく。
この力が今後はとても重要だなぁって思うのです。
有縁を度す
最後は有縁を度す(うえんをどす)です。
有縁というのは、まず身近な人など縁がある方という意味です。
僕は最初の仕事についた時、何も考えていませんでした。
ただ与えられた役割で、何をして欲しいのか?を待っていました。
それは「勝手なことをすると怒られるから…」という意味も入っていましたが、それ以上にここの会社に『貢献』したい!とはまったく思っていなかったのです。
もちろん、そんな状態だと仕事が面白いハズもなく、「あぁ、早く仕事が終わらないかな」って思う日々でした。
しかし、次に決まったICT支援員はなんと役割がありませんでした。
「先生の役に立って欲しい。でも、何をしていいかは僕たちも分からないから考えてくれ」
って教育委員会のほうから言われました。
でも、僕にとってはこっちのほうが良かったらしく、いろいろ考えたり、先生たちの悩みを聞いたり、まとめたり…
そんなことをしていたら、一人の先生が
「そういえば学校からのメールが届かないって人がいて、迷惑メールフィルターじゃないですか?って言っても聞かない人がいるんです。他に何か知ってませんか?」
ここで簡単に受け流すことはできましたが、僕は「出番だ」って思ってその日のうちに一生懸命考え、調べ、最終的に一枚の紙にして、携帯メール確認と解除の手順まで書かれたフローチャートを作って渡しました。
「すごーい!これだったら分かるかも!保護者にも渡してみます!」
と言って、受信できなかった方は結局、迷惑メールフィルターに引っかかってたことが分かり、全員がメール受け取れることになったのでした。
ここで分かったのが、役割は自分で作れば良い。
身近な誰かが困っていることを拾って、役立とうと思ったことが役割になり、仕事になるんだ!!って気付いたのです。
人生の中で自分の役割が見出だせなくなった時は、まず身近な人を助けることから始めてみる。
ただ挨拶をするだけでも、投稿を見て、コメントをしっかり返すとかでも良い。
まず自分ができる小さなことから役立つ。
そうすると次第に自分にしかできない役割が見えてくる。
それが幸せにつながるなぁって思うのです。