「箕輪さんはつまらない質問は答えない」
箕輪さんと言えば、株式会社幻冬舎所属。 株式会社エクソダス取締役という言わずと知れた時代の風雲児ですね。
その箕輪さんの講演会が茨城でも行われたことがあるし、もちろん本を読んだこともある。テレビの特集も見たし、Twitterでも発言を見たことがあります。
そのキーワードとなっているのが
「好きに生きる」なので、破天荒というよりは自由人という認識でした。
しかし、僕はこの箕輪さんのある行動が許せませんでした。
それはまさに冒頭の「つまらない質問は答えない」というもの。
つまらない質問は答えない
なぜ、そんな話になったのか思い出せないのですが、クライアントさんから茨城で行われた箕輪さんの講演会の話になった時
「講演会の最後で質問に答えるシーンがあって、そこで何人か質問してたんだけど、それ聞いて何になるの?と質問を切ってたんだよね。何人かバッサリ切られてて、その後、あんまり質問にも時間かかるようになったし、待ってる間、スマホ見てたねー。」
と、ある意味、破天荒で自由人だなーと思うと同時にすごい違和感を覚えたのです。
質問の価値は相手が決める
僕は質問は相手が価値を感じる部分であると思っていたりします。
箕輪さん自身がつまらないと判断しても、その人にとってみれば人生を賭けた問いだったかもしれない。
それをつまらないと一蹴してしまうこと自体がつまらない。拡がりが出ないし、価値が深まらない。
上から目線で評価をしていて、箕輪さん自身の良さが下がるし、ひどく勿体無いのではないか?と感じました。
さらに何人も質問をバッサリしたということも気になっていて、本当にこの人は他人に対して話をしにきたんだろうか?と思ってしまったり。
その後、質問に時間がかかるようになったということも「そりゃ、そうなるよな。すごい問いをしなきゃならないと思うもの」と質問タイムの在り方を考えさせられました。
自分の好きとワガママは違うと思う
箕輪さんのことをたくさん調べたりすると「好きなことをやっていこう!」って言っています。
もちろんそれは大前提でものすごく大切な考えだと思うし、僕もそう思います。
ただ、質問バッサリ切って、自分はスマホいじって何かやってるというのは、それって自分さえ良ければあとは何でも良いみたいな印象しか持てないなぁと思うのです。
僕は好きなことやれ!って言いつつも、どうすれば他人を助けられるか?という視点を外させたことはないです。
なぜかというと人は一人で生きているわけではなく、こうして生きているのは誰かのおかげだからです。
全員が全員好きなことだけしまくって、他人なんか無視して生きていたら、自分はそりゃ過ごしやすいと思うのですが、世界は崩壊するかもなって感じます。
好きなことをしながら、他人とも調和していく。それがめちゃくちゃ難しいですが、めちゃめちゃ大事なことで、それこそ全員嬉しい世界だと思うのです。
あえて自分から分離して、孤立するような生き方しなくても良いのになと思ってしまいました。
誰のために何のためになぜ?
いつも考えていることです。
ここがまずは全部自分のために動くのは当たり前の話で、その先こそが本当に難しいけど、真の好きに生きる。
生きてく上で大切なことなんではないかな…と思うのです。と、僕自身はまだまだ箕輪さんのことをガッツリ知っているワケではないし、会ったことないし、むしろさっきのシーンとか人生の一部分しか知らないので、どうこうする気はありません…。
仕事に対する情熱は本物だし、箕輪さん自身も間違ったこと言うことがあっても良いと思う。
ただ、そこで感じたモヤモヤこそが僕の気付きだし、僕自身が大切にしているものなんだなと改めて思いました。
僕ならどう講演するのか?人を感化させるのか?
そこを確立していくにはまだまだたくさんの場と気付きが必要だなぁ。