初のPTA委員が終わった。
終わったのだけど、終わったような気さえしなかった…というのが本音かなって思ったり。
PTAはいろんな人が関わっている組織なのだけど、実態がまったく見えない謎の組織でもあった。
『教育に関して、子どもに関して、なんか良いことやっている』
そんな風な想いを持っていた。
実際、頑張っている人もたくさんいるんだと思う。
でも、やってみてもなんだかよく分からなかったというのが本音だったりした。
今回は本音を書いていくので、「おいおい、そんなことねーだろ!」とか「何書いてんねん!」って怒られることも承知だ。
でも、敢えてこの怒りや、嘆きを伝えなければ、変わることはない。
僕の見てきたことを事実のまま載せようと思う。
PTA、結局、何もしなかった
1年前、PTAに意気揚々と参加するために乗り込んでいった。
そこでは女性(お母さん)ばかり。
まぁ、集まる時間が14〜15時くらいなんだから当たり前と言えば当たり前。
すでに多くの男性が参加できる時間ではない。
そんな中、僕が男一人で参加したPTA。
グイグイと手を挙げ、学年委員として参加した。
ところが、なかなか終わらない。委員は4人くらい必要らしいのだ。
「決まらなかったら、私たちが委任状を出すことになります!」
前年担当した学年委員さんが困り果ててオドオドしているため、先生も躍起になっている。たぶん、決まらないと困るのだろう。
結局、「しょうがないな…」という空気の中、手をあげる人もいれば、「○○さん、まだ一回も委員やってないんだから○○さんにやらせたら良いんじゃない?」という声で一人、もう一人決まった。
「しょうがない、あたしがやるよ!」
学年委員の長はベテランの地域活動を長年続けているお母さん。
資料はすべて長が引き継ぎ、「とりあえずLINEでグループを…」と数回のやり取りをした。
どこに連絡すれば良いか、誰に聞いたら分かるのか?も分からなかった
しかし、その後のPTAはなんにも音沙汰がなかった。資料も届かないし、せっかく交換したLINEもまったく鳴り響くことはなかった。
「やってやるぞ!」と思っていた意欲も結局、日常の忙しさの中に消えていき、PTAという存在があること自体を忘れていく。
ただ、このままではいけないなって思いつつ、連絡をとろうにも誰に聞いたらいいのかも分からない。
結局、僕がPTAという組織に属したのは末端の『学年委員』という組織のようだった。
このPTAの実行委員会があると思うのだが、誰がやっていて、どのようにアポイントをとれば良いかも分からない。
学校に言っても「個人情報なので…」と取り持ってくれないようだった。
今の御時世なのだからしょうがないと思いつつも、なんとか助けていきたいという熱量を吐き出す場さえないというのは辛かった。
参画したいと思っているのにどうしたら良いか分からない
そんな中、一度だけ呼び出しがあった。
学年委員会活動だ。
三世代ふれあいの集いのようなものがどの学校でもあると思うが、その出し物をどうする?とかという話し合いのようだった。
しかし、6学年の委員会は一回も集まっていない。話し合ってもいなかった。(しかもお互いがどんな人なのかもよくわからないまま。)
結局は適当にごまかしながら返答をし、さらに「コロナがあるので、もしかしたら中止になるかもしれません」と自分たちPTAにとっても先生にとっても時間の無駄になってしまうような状態だった。
その後、この話し合いが行われることはなかったのだが、三世代ふれあいの集いは結局開催され、『PTAが話し合って出し物をした』というのを聞いた時にまた驚愕した。
まったく話し合っていないのに、出し物が出て、子どもたちに提供されたという状況だった。
いつの間にか話し合われ、いつの間にか決まって、いつの間にか終わってた。
連絡を受け取らなかったのではない、連絡がないまま終わったのだ。
受け取らなかったのだったら僕の責任だと思う。しかし、その連絡がなかった。
これは怒りではなく、嘆きに近かった。
一体何が起こっているかも分からないまま、時が過ぎ、子どもは卒業してしまった。
そして歴史は繰り返している
そして、今日が最後の引き継ぎの時。
資料がやっと届いた。
『PTA学年委員引き継ぎのご連絡』
何もしていないのに、何を引き継ぐというのか?
そう思いつつも、これも勉強だと思って出席。
また1年前の再現をしていた。
「誰もやらないようであれば、委任状を出させていただきます!」
学年委員の人がオドオドと様子を伺い、そして、誰かが渋々手をあげ、「○○さんがまだやっていないようだから電話するわ!」という形をとっていた。(昨年と同じ)
そして決まるPTA学年委員。
引き継ぎは…
「昨年度、何もなかったですよね〜。」
という今年度の委員から言われて何も引き継ぐことなく、引き継ぎは終了した。
「じゃあ、LINEグループを作りましょう。」
これは決り文句なのだろうか?(笑)
今年度の委員さんたちもLINEグループを作って、話し合いを進めていた。
たぶん、このあと、グループを作っても連絡はないんだろう。
よく分からないことを運営しなければならない学校の先生
PTA委員を1年やってみて思ったこと。
頑張っている人もいるんだと思うが、何がなんでも維持しなければならない組織ではなかった。
このPTAという何のイベントも起こらない組織のために、多くの先生が時間を割き、多くの保護者が時間を割いている。
先生がこのPTAという組織を維持するために、資料の準備や、連絡、文書の作成など、このめちゃ忙しい4月に行わなければいけないのも大問題である。
コミュニティ・スクールを推進する時に先生たちが
「負担が増えるんだったらないほうが良いです」っていう理由が身にしみてよく分かった。
はっきり言って、今の体制のままだったら
間違いなくPTAなんかないほうが先生も子どもも幸せだと思う。(そもそも学年委員という入った場所が悪かったのかもしれないが、他の部署を見ていないのでまだ分からない)
もちろん、地域学校協働を推進する身として、PTAがいらないというわけではない。
ただ、今のままでは意味がないどころか、マイナスになっているというのだ。
PTAの理念とは何か?
それは教員と保護者が手を取り合い、青少年育成に寄与するためだ。
今のように見せかけだけ手を取り合っているように見せていたのでは、お互いに負担が増えるだけでまったく意味がないし、やりたくもない人が強制的に加入され、負の連鎖が続いてしまう。
PTAは任意団体だ。
先生も保護者も『やりたい人がやる』ことが大事だし、『理念を信じられる』ように伝えることが大事だと思う。
そのためには先生もPTAに依存しない関係づくりが必要だと思う。
PTAがなければ学校の行事が進まないと考えてしまうと、PTAが半強制的になってしまう。
PTAがあったら、+してこんなことができるという考え方にシフトする必要があると思う。
ただ、ぶっ壊すにしても誰がこのPTAの実権を握っていて、壊せるのか?というのがもはや分からない。むしろ、そもそもないのかもしれない。
こんな風なことをモヤモヤ考えながら、中学校のPTAのチャンスがまだある。同じテツを踏まないようにしていきたいと思うと同時に、先生の手助けや、保護者の手助けをどのようにしたら、幸せになれるのか、また考える材料ができたと思う今日このごろ。