どうも、ソルティーです。
実は僕は完璧主義者です。その上、負けず嫌いです。
常にSlackは完璧に見落とさず見ているし、なるべく返信もしようと思っているし、みんなの失敗を自分でしょい込み、どう自分が改善したら良いかを考えていたりします…。
いや、ものすごく責任感が強くて良いのかもしれませんが、ちょっと苦しいと感じることも多いです。
それは人に頼るという行為が極端に苦手で、全部背負い込もうとしてしまうから。
さらにADHDという特性があるので、できないことも多く、それを努力によって無理やり底上げしてきたという経緯があります。
しかし、限界は来るもの…。
「そろそろ辛いなー」、「苦しいな〜」という時、戒めのために出した僕のツイート。
このツイートを見て、友人が「助けよう!」と動いてくれました。
実際、悩みを聞く会では僕の悩みを抽出し、改善に向かえたことで、少しですが人に頼ると多くのことができるようになるんだということを実感しました。
今回はこの人に頼ることの大切さについて語っていこうと思います。
人に頼ることで多くのものが見えてきた
自分にはない手法がとても新鮮で、斬新な切り口だった
人に頼るということは自分に見えない側面を教えてくれるようになります。特に悩みを聞く会ではまず僕が悩みを言わず、人に当ててもらう…ということをやってくれました。
「いろんなところを見ているので手が回ってなさそう」
「反応ないと苦しそう」
など、僕の立場になって振り返って自由にコメント出してくれたので、相手も同じ気持ちになれただろうし、僕自身も「分かってくれているんだ」と嬉しくなりました。
正直、この手法は僕の中にはなく、もし自分でやっていたら自分の悩みを出すだけになっちゃっただろうなと思います。
「妻との不満が意外とありそう」
「ゴミ出し大変そう」
なんて言葉も出てきて、プライベートにまで及ぶっていうのが面白かったし、笑いも起きたので、すごく良い方法でした。
意外と自分のことを理解している方は多かった
「自分のことって自分にしか分からないだろうな」と思っていたのですが、そんなことはなく、言わなくても意外と僕のことを理解しているんだなって思いました。
「まだ全体が動きはじめるほどあったまっていないから、自分がやった方が早い→業務過多」
「父親としてのとして家族へ接する役割と稼がないといけないという父親の両立が難しい」
なんてのは特にそうで、ついつい自分でやってしまう。
もちろん、意見の中には間違っていることもありますが、想像だけでも自分のことって伝わるんだなって感じています。
自分がどう考えて、どう生きているか?それを意識していければ多くの人は理解してくれるし、本当の本当に自分を出さなきゃいけない人には直接会ったり、話したりするのが大切だなと改めて理解できました。
自分にのしかかっている荷物が他人を通して伝わってくる
もう一つは、心の荷物とでも言うかと思うのですが、自分の中で相当多くの荷物を抱えていたんだなと人と話すことで感じられたのはすごい良かったなと思います。
自分の抱えている荷物って多くの人は分からないと思うんです。それが今回、悩みを伝える会があり、自分自身も悩みを書き出さなければ人に共有できないと思ったので、多くの悩みを書き出してみました。
それによって自分を改めて振り返ることに繋がったし、この悩みを共有することで「こんな悩みがあるんだね」と自分自身に伝えることができるという点が一番ポイントなのかなと。
自分のことって一番見えにくくて理解しづらい。
だからこそ、他人を通して自分を知るのはとても大切なことなんだと思えました。
人に頼ることでADHDは多くの人が成功していく
実は今回の悩み相談はADHDにとって非常に重要な技法である問題の外在化に近いなと思っています。
ナラティヴ・セラピーにおける主要な技法として「外在化する会話」「再著述する会話」「リ・メンバリングする会話」「定義的祝祭」「ユニークな結果を際立たせる会話」「足場作り会話」の6つに分類しているが、「外在化する会話」では、問題を客体化することによって、人を直接問題とするのではなく問題を外在化させ、問題の対応にあたると述べている。
ADHD 傾向のある子どもに対する問題の外在化技法について Nylund, D. (2000)は、子どもとADHD の問題を切り離して考え、名前をつけることにより、子どもと問題の間に距離を作り、子どもの望ましい能力を最大限に引き出すことが可能になると述べている。
加えて、問題を外在化すると、誰に問題があるのか、誰の責任なのかという考えをなくし、子どもたちは外在化された問題に向かって協力して立ち向かうことができるようになる。
そして、お互いに良いところに注目しやすくなり、問題解決に向けて楽しく深刻にならないアプローチとなり得ると論じている。
出典:ADHD傾向のある児童への教育的支援-応用行動分析の視点から- 奈良教育大学教職大学院研究紀要「学校教育実践研究」
これをナラディヴ・セラピーとも言うんですが、この論文から見ると、誰の責任なのか?という考えをなくし、問題に向かってみんなの力を結集していこうという動きが高まっていく…とあります。
僕自身、他人の責任をすべて「自分のせいだ」と強すぎる責任感を感じる時もめっちゃくちゃあるんですよね。
だからこそ、人に頼って問題点を自分と切り離していく…ということは本当に大切なんだなと。
「問題点をあぶり出してから解決策はみんなで!」と思っていましたが、「問題点のあぶり出しからみんなでやろう!」とできるのは本当に今までの自分にはなかったスタイルだなと思います。
難しいけど、人に頼るということをできる限り意識に入れて生きるのは大切
人には絶対に得意なところと、不得意なところがある。
人は絶対に一人では生きていけない。そんな当たり前の事実を教えてもらった…というよりも、体感させてもらいました。
ADHDはとにかくできないことや、慌てること、忘れること、本当に多いです。
そうなると自分一人では限界があるし、何もこれはADHDに限った話ではない。
完璧主義の反対は『適当』になるんでしょうが、その適当を理解して、相手を信頼し、渡していけるのが本当に自分が望んでいる完璧なのではないかなと。
人は違う山を同時に登れないのとまったく同じこと。
そんな自分を受け入れ、許して、違う道を通ることを任せられる。
そんな信頼関係で結ばれた仲間たちと進みたいし、今、まさにそんな仲間に囲まれていることに感謝です。