ソルティーです。

昨日、未来の先生塾でとても刺激的な一言をいただけました。

「学校改革をする必要あるんですか?」

とても僕にとっては刺激的な一言でした。

理由を聞いてみると

「いや、目の前の子供に全力を注げば良いじゃないですか」

という意見。

僕は思わず「なるほど」という言葉以外に出なかった…。

※ちなみに他にもいろいろ話したので、単純にこの言葉だけを言葉通りに受け取らないで欲しいですw

というのも、先生たちは学校の改革をしたいわけじゃない。ただ、子供たちが良くなるように一生懸命日々を生きている。

ただ、それだけで良い。

それを横からしゃしゃり出て、「社会のためにアンケートください」とか「こっちも協力してください」みたいなものは今の目の前の子供に全力だとしたら邪魔でしかないなぁって考えざるをえませんでした。

イメージとしたら『毎日包丁を研いでる包丁職人』。

毎日包丁がキレイに研げれば良い。ただ、それだけなんだなぁと。

でも、僕のようにその現場に立っていない人は社会全体のニーズが変わってきていて、今の状況が

「あの、毎日の包丁を研ぐ時間結局減ってますよね?」「求められていることが社会的に変わってきてますよね?」と言いたいのだと思う。

「むしろ、社会のルールや、仕組み、マインドなどがズレているせいで本来の仕事できてないじゃない」と。

僕が行っている仕事は「学校の先生たちの負担を軽減し、子供と接する時間を増やすこと」です。

つまり子供と本当に直に接する時間がめちゃくちゃ減ってないですか?ということなのだ。

じゃあ、そういう包丁を研ぐような職人タイプの先生が必要ないか?というとそういうことを言いたいワケではなく

「結局、立ってるステージが違うんだ」ということが一日考えてみて出た結論です。

図解するとこんな感じ。

学校のマクロとミクロの図

めちゃ難しい言葉で言うと、マクロ視点で教育にアプローチをしているのか?ミクロ視点で教育にアプローチしているのか?ということ。

僕はたぶん、社会から教育に変革を起こそうと思っている。

たぶん、僕の仲間になる人は『毎日の授業づくりを極めたい』とか、『目の前の子供が笑顔になれば十分』という人ではなくて、

『未来の子供たちへ』『未来の教育を創る』『100年後どういう世界に生きたいか?』というキーワードに引っかかる人。

今の学校は本当は子供たちのためになっていないんじゃないか?とモヤモヤしている方や、これからリーダーになっていくような人たちなんじゃないかと思っています。

※これはプログラミング教育がなぜ必要なのか?の記事でもリーダーとなる先生について軽く触れてあります。

でも、こういう人、全員ひっくるめて最終的は全員が幸せになれるように教育に携わっているだけなんだなって思う。

マクロ視点を持ったミクロな指導者が必要かどうかはこれから要検証。

うーん、意見が違う人と語るのはいろんな気付きがあるなぁ。