今日は関わっていた小学校で、最後のプログラミングの授業がありました。
これは市から予算が出ている年10回の授業です。
(ちなみに隣の市の地域の人で、教員免許持ってないのにこんなに呼ばれるのって異例かと思う(笑))
僕はこれを前年もやっていたので、2年間やらせていただいています。
今日はプログラミングで作った作品の発表会。
終わった時、教室から出るのが本当に寂しいなって思ってしまいました。
「あぁ、先生はもっと強い想いを毎年するんだな…」
そんなことを思ったので、今日は授業の先にあるものについて話をしていきます。
プログラミング授業の内容
前年まではまったく同じ内容の授業を5、6年生に提供していましたが、今年は5年生、6年生でまったく違った内容を展開しました。
そして、その場にいる子どもたちと授業を作っていく…ということを意識して作ってみました。
習得を目指す5年生
5年生はほとんどがプログラミングが初めて。パソコン(Chromebook)もうまく使いこなせない子ばかりです。
なので、この時はパソコンや、プログラミングとは何か?っていう習得を意識した授業づくりをしました。
そして、本当に毎回伝えたのが『君たちはなぜプログラミングを今、学んでいるのか?』ということを伝える10〜20分くらいのミニ講演を毎回やりました。
これが結構効いて、その後の授業を結構真剣に取り組んでくれたりしました。
ミニ講演のあとはパソコンを自由に使わせるのですが、Youtubeを見る子はほとんどいません。いたとしても、素材として必要だから、授業として必要だからYoutubeを見るという子ばかりで、しっかりプログラミングに向き合ってくれたかなーって思います。
どうしてプログラミングを学ばなければいけないのか?これから自分は何を目指していくのか?ということを、しっかり考え、学んでくれたのかなって思います。
今までの授業体系と、これからの授業体系のハイブリッドがそこそこうまくできたかなーって感じました。
あくまでも子どもが主体の6年生
6年生はすでに5年生の時にプログラミングを学んでいる子たちです。
そこで、何かを習得する…ではなく、10回を通してプログラミング作品をチームで1個つくるというものにしました。
企画書から、コンセプトづくり、チームの役割決め、ミーティング…
プログラミングとはまったく関係がない学びばかりですが、社会に出た時に絶対に必要になる技術ばっかりです。
そして、僕もほとんど手を出さないで、子どもに考えさせるということをずっとやらせ続けました。
企画書も「作りなさい!」ではなくて、「完成に近づけるためには企画書などを作って、準備するところから始めたほうがスムーズだよ」という形で強制しないこともすごく意識しました。
だから、何を作っているかも知らないし、今、どこまで進んでいるかも管理しない。
言い続けたのは「失敗しても、成功してもそれは君たちの責任。だけど、先生としてはできるだけ完成に近づけてくれたら嬉しい」と何度も伝えました。
厳しいかもしれないけど、それが自律(自分で自分をコントロールする)を学ぶ手段と考え、先生として手を出さないと決め、あくまでも見守る。できなくても、くだらなくても、おかしいと思っても、できたところまでを見つめる。
そういう主体的・対話的で深い学びという次世代の授業を意識して作ってみました。
6年生のプログラミング作品はそれぞれ特色が出る
5年生は習得ベースだったんで、まぁまぁ良くなるのは分かっていました。
でも、6年生はまったくどうなるか分かりません(笑)
最後の発表まで一回もプログラミングを見ていないチームがあって、本当に大丈夫かなー?って思ってたりしましたが…
結果的にすごく特色ある、良い授業になったと思っています。
チームは4つあり、
ゲームとしての面白さが際立っていたチーム、難しいプログラミング解析して改造をやり続けたチーム、すべてプログラミングのみでオリジナルを作り続けたチーム
中でも、僕が「先生、一緒にやろう!」っていろいろ巻き込まれた女子チームがあって、そのチームは
オープニングムービーや、エンディングムービー、音声の吹き替え、イラストの制作などをGoogleグループ内で独自にやり取りをし続けて、作成。
まったく教えていないのに、ここまでできるようになるものなんだって、めっちゃ感動しました。
が、プログラミングはまったくできてなかったということで、ここでプログラマーを配置できてたらな〜って完成が惜しまれたチームでした(笑)
先生の後ろ髪を引かれる想いってこれなんだな
さて、最後の授業を終えて、教室から去る時、もう一度教室のほうを振り返りました。
「もうこの教室に戻ってくることはないし、来年になったらこの子たちはこの学校にいないんだな…」
って思ったりしました。
たった10回の授業なのに、こう思ってしまうということは、毎日かかわっている先生たちの想いたるや…すごい嬉しかったり、悲しかったり、寂しかったりといろんな感情が沸き起こるんだろうなと…。
まだこの子たちに伝えたいことがある。もっと授業をしていきたかったな…と感じてしまうのは仮でも『先生』というものを体験したからなんだろうなと。
この想いがあるからこそ、次に出会う子たちに伝えていきたくなるんだ。
そんな気がした今日このごろ。