学校の先生は忙しい。

そういう風に言われるようになりました。

10年前、ICT支援員になった僕はこんなに先生が忙しいって知りませんでした。

先生って憧れの職業だと思ってたので、さぞかしすごい人が先生になるんだろうって思っていました。

でも、実際に支援員という立場で接するとよく分かります。

先生は神ではありません。
先生は人です。

僕と同じ人だったんです。

今回はそんな一人の人間であるという視点を踏まえつつ、教員自身から多忙化を解消する方法を紹介していきます。

教員の多忙化にはさまざまな要因がある

多忙化の原因って何か?それはたくさんの要因が複雑に絡み合っていることです。

考えたり、悩みながら、子どもたちと接して、その日その日を楽しみに、でも大変だー!って言いながら関わる毎日。

忙しない印象を持ちながらも、もっと子どもと関われることってあるはずなのに…って思ったりもしていました。

その後、先生たちの過酷さはみんなに知れ渡るようになりました。

今はニュースや、メディア、Twitterでも本音の声が届くようにはなりました。
でも、その反動で『教員はブラックだ。ならないほうが良い』という雰囲気まで出始め、教員のなり手が圧倒的に少なくなってしまっています。

その上で出てきたのが「こんな教育も未来には必要だよね」というものです。

例えば…
法教育、憲法教育、プログラミング教育、主権者教育、金融教育、住教育、シティズンシップ教育、日本の伝統教育、文化理解教育、領土教育、国際教育、健康教育、食育、性教育、薬物乱用防止教育、いじめ防止教育、安全教育、防災教育、環境教育、持続可能な開発教育、海洋教育、再生可能教育、放射線教育、情報モラル教育、ICT教育、メディアリテラシー教育……

もうね、書くだけで息切れしてきちゃうんですが、実はまだまだあります💦
全部大事です。でもね、それを学校だけで取り組むのは『無理』って思っちゃいますよね?

全部大事だから全部やろうって…それは全部大事じゃないって言ってるのと同じ。
だって、それは『中途半端』になってしまう。

だからこそ、まずはこんなに学校教育に求められていることが多いんだということを知って、受け入れるということをしてみましょう。

教員の多忙化を解消する具体的方法

自分自身の強み・こだわりを持つ

多忙化を解消するには自分自身の強み・こだわりを見出しましょう。

僕だったらその学校で育みたいことを、自分のスキルを活かしながら、自分自身で『決断』すると思います。

この地域だったら、この学校だったら、この職員たちだったら…こういうことは一番伝えられるかもしれない。

だったらやってみよう!

軸を持って動き、必要な部分に特化して教えていきます。

例えばICTに特化してもいいし、いじめに特化しても良いし、国語に特化しても良いし、コミュニケーションに特化しても良い。

切り捨てることは悪じゃなくて、『こだわり』や『強み』を生み出すこと。

そして、それが『特色ある学校』『唯一無二の先生』を生み出すんじゃないかと思うのです。

何のために働いているのか?目的を明確にする

多忙化を解消するために、自分が何のために働くのかという目的を明確にしていきましょう。

学校の先生が忙しいというのは分かっても、周りから見ると、学校の先生がなぜ忙しいのか?は分からないと思っています。
 
なぜかというと説明しづらく、学校ごとによっても違い、忙殺される業務なんていくらでもあるからです。
 
しかし、実際は『忙しい』という作業的なものよりも、精神的な疲弊のほうが大きかったりします。
 
例えば『深夜まで残ってこそ良い教師』、『若いうちは土日も全部、部活動で子どもたちと全力でぶつかるべき』
 
という価値観を言って『はばからない』先生、地域の人たちも少なからず存在し、『こうあるべき論』を押し付けてくることがあります。
 
 
さらに課題なのは『自分たちがどんな子を育むために授業をし、どんな目的を持った学校なのかが具体的には理解していない』ということが最大の課題です。
 
学校のグランドデザインを言えない先生が結構多く、さらに、多くの学校が『明るく、素直で、たくましい、元気な子を育む』となっています。
 
じゃあ、

  • 明るいってどんな状態か?
  • 素直って何か?
  • たくましいって何か?
  • 元気って何か?

これが統一されていないので、個々のイメージで成り立っています。

だから、教育感がズレていきます。

「あの先生は良いって言ったのに…」みたいなことも起こります。


ここで、あの松下幸之助が社員にかけた魔法のコトバをぜひ知って欲しいと思います。

⬇魔法の言葉⬇

“その仕事を、しらけた表情で、つまらなさそうに電球を磨いている社員がいました。
その社員に対して、松下幸之助氏は「君、ええ仕事してるなー」と声をかけました。

その社員は「電球を布で磨く仕事のどこが良い仕事なんだ」
「電球磨きなんて、誰でもできる仕事だろ」と思っていたので、松下氏の言葉に唖然としました。

すると、松下氏は「この電球は、どこで光っているか知っているか?」
「あんたが磨いたその電球で町の街灯に明かりがつく。その街灯のお陰でどうしても夜遅くに駅から家に帰らなあかん女の人、いつも怖い思いをして帰っていた女の人が安心して家に帰ることができる」

「またなぁ。子どもたちが絵本を読んでいると、外が暗くなって、家の中はもっと暗くなる。そうなれば、絵本を読むのを途中でやめなあかん」

「でもな、あんたが磨いている電球1個あるだけで、子どもたちは絵本を読むことを続けることができるんや」

「凄いことじゃないか。あんたが電球を磨いていることで、子どもたちの夢を磨いているんや。子どもたちの笑い声が聞こえてこんか?」

「物作りはな、物を作ってはあかん。物の先にある笑顔を想像できんかったら、物を作ったらあかんのやで・・」

「子どもたちの夢のために、日本中、世界中にこの電球を灯そうや」”

これを聞いた社員はなぜ自分がこんな電球を磨かなければいけないのかに気付いたそうです。

これは先生たちも同じです。

なぜ教育をしたいのか?という自分の中の目的が、学校の理念とリンクした時、「忙しい」ではなく「夢中」になっていけるのです。

絶対ダメなんてことは実際はほとんどない

多忙化を解消するためには、「絶対ダメなんて世の中にはほとんどないんだ」と受け入れることです。

教師のメンタルヘルスが取り沙汰されていますね。

文部科学省から出たデータだと年間5000人以上の教師が精神疾患によって病気休職するそうです。

それほど多忙で、ストレスの多い状況なんだろうということは容易に想像できます

でも、ここで大事なことは

「絶対ということは世の中にはそんなに多くない」

ということです。

僕は昔、就職していた時、激務に追われ、
「絶対に休めない」
「もう迷惑はかけられない」
「なんとかしなければならない」

なんて思っていました。

でも、もう限界だ!って思って手放してみたら、
「あれ、なんだ。手放せるじゃないか」って思ったんです。

たしかに責任とかもあると思います。
しかし、ルールや、法律ももちろん守ったほうが秩序は守られます。

でも、それさえも人間が作ったものです。
そして時代と共に変化していくのです。

火に近づくと燃えるとか、
高いところから飛び降りたら落ちるとか

法則のようなものは変えられないですが、人間が作ったものは変えられます。

実際にどんどん変わっていくのです。

今、「絶対ダメ!!」って思い込んでいることがあったら、「本当にそうなのか?」って考えて欲しいのです。

メンタルを病んでから復帰するには時間がかかりますし、その後の人生にも大きく影響します。

ボロボロになるくらいなら、手放す勇気も大事かなと思います。

自分の中の喜びを分かち合う

多忙化を解消するためには、自分が心の底から喜ぶことを追求するということです。

NPO法人 教員支援ネットワークT-KNITの正会員である元小学校の先生だったタノさんの話をしましょう。

T-KNITに関わって大きく変化…いや、進化を遂げてくれました。

タノさんの投稿
タノさんの投稿

元々、才能のあふれる方だと思っていましたが、入ってからどんどん湧き出るように行動し、いろんな人に会って、そして考えをまとめて…。

そして、学校の外を知った上で、学校の現場に講師として戻って、最後の日に子どもからの一言。
そんなことを報告してくれました。

これが何がすごいのか?

先生にとっては「当たり前じゃん!」って思ったかもしれません。

でも、このすごい点は講師という限られた時間の中で、自分の喜びと他者への貢献を最大化し、それを仲間と分かち合ったことです。

僕の中で教員支援が始まったのは

学校の先生が子どもと話す時間を放り出して、校務(しかもアンケート)を優先してしまった

そんな姿を見てからでした。

それを繰り返さないように…とタノさんの中で、僕の志を汲み取って行動して、その行動をまたコミュニティにシェアをして、他者へ貢献する。

こんな嬉しく、Win-Winな関係…嬉しさと感謝しかありません!

大変なことはあるけど、楽しみながら、子どもたちとの時間を何よりも大切にする先生。

きっと、先生はそういう気持ちで先生になったハズ。
学校に入ってしまうと圧倒的な業務の中で、自分が何のために先生になったのかを見失い、振り返る時間もないまま、走り続けてしまう。

だからこそ、喜びを感じ、それを仲間と分かち合うことを忘れないで欲しいと思います。