茨城県の教育委員会から出されたものですが、「教員免許なくても先生になれます。むしろなってください」という感じで教員募集が出ていました。
それだけ教員のなり手が少ない上に、辞めてしまう方も多くなってしまったのかなぁって思います。
で、苦肉の策として出てきたのが、教員免許なくても先生になりましょうというものでした。
でも、僕的にはこれはあんまり良くないんじゃないかなぁって思うので、今日はそのあたりを話します。
教員免許なくても先生になれるほど簡単な職業じゃないと思う
学校の先生は大学に通って教員免許を取得しますが、先生になるにはそれ相応の知識が必要だと思います。
「良い学びをしていないよね」
「社会人経験が不足している」
なんていろいろ言われていますが、子どもたちを扱うというのは本当に難しいんだと思います。
実際、僕の子どもは4人いますが、四六時中見るのはほぼ不可能です。それこそ放置です。意識も向けられているか分かりません。(まぁ、子どもたちもいろんなこともやっているので、ずっと意識向けてたらそれこそ子どもにとっても迷惑かもしれませんが…)
そんな子どもが30人以上もいると思うと、どんな戦場なんだ…って思うくらいです。
現職先生とすると悲しいみたい
この間、育休中の先生とお話する機会がありました。
「やっぱり頑張ってきたことが無になっちゃったみたいで悲しいです。私が借金までして手に入れた教員免許ってなんだったんだろうって思ったりしちゃいました」
まぁ、これが本音だよなぁって思うわけです。
一生懸命取りに行ったのに、その道もういいよってなっちゃった。
レジで一生懸命並んで待ってたのに、後ろから来た人に抜かれたような気分なわけです。
まぁ、ちょっとムッと来るところもあるんだと思います。
教員は簡単になれるよではなく、教員の価値を見直したい
まぁ、それでも現実として人は少ない。だから、ハードルを下げるしかなかったのだと思います。
特別免許制度の積極活用を!
「教員不足」で緊急通知 “特別免許制度の積極活用を” 文科省
と文科省も言っています。
まさに学校教育がもう終わりを告げそうな感じです。
でも、人数が足りないからハードルを下げるってそんな短絡的なことで良いんだろうか?とも感じるわけです。
お客が来なくなったから金額を下げると考え方が同じだなぁ〜って思っていて、それだと教員の魅力は上がらないんじゃないかって思ったりするわけです。
教員はやっぱり魅力があります。辛いことも多いかもしれないけど、楽しいと思う時も、報われる!と思う瞬間も、やっててよかった!と思う時もあるはずです。(実際聞きますし)
そして、そのようなことを通じて、どんな自己実現ができるのか?そう認識させていくことが教員の価値として定着するのではないかと思うのです。
だから、個人的には簡単にハードルを下げていかないで欲しい。
ハードルを下げていけば、終わりのない価格競争に巻き込まれていくのと同じ末路を辿ってしまいます。
本当に教員を大切に思うのなら、しっかりお金も払って欲しいし、教育に対して予算をつけたり、学校に対しての予算も上げて欲しい。
他にも、副業も緩やかにして、第三者としての視点を加えた教育も取り組んでいってほしい。
教員の価値や、魅力を誰に、どのように、どのようなメッセージを通して伝えたいのか?をできるなら一緒に考えたい。
僕も何ができるか考えてみようと思う今日このごろです。