令和4年7月1日に教員免許更新制が廃止されることが決定しました。
教員免許更新がなくなり、教員の質を担保できなくなる…との声も上がっていて…教員はどうやって学ぶのか?ということも疑問が残りますね。
教員免許を持っている側からしたら賛成が多いようで、「時間がかかる」「無駄である」「お金もかかる」と良いことがないように思えます。
ただ、この決定は大きな意味を持っていると思います。
それを少し考察していきます。
目的がズレている可能性がある
大きなものでいうと、目的意識がズレていたんじゃないかなって思います。
今までの教員免許更新制って…なんというか、教員免許を継続するために研修を受けるという感じで、「教員を続けるために」という目的にすり替わっていた気がします。
教員の質と信頼向上のためにという本来の目的で講習を受けている人はどれだけいたのだろうか?
「早く帰って仕事をしたいです」
と講習中に呟く人がいると聞いたことがあります。
この講習は仕事じゃないのか…?と首を傾げてしまうこともあり、その状態で講習を受けても頭に残るはずがないんじゃないかと思います。
そういう意味で
「新たな研修制度を用意する!」
という言葉に変わったのかなと思うのです。
人材不足の解消に繋がる可能性がある
教員免許更新制はなくなっても、教員免許は未だに必要です。
※社会的に活躍している人を採用する特別免許制度というのもあります。
それよりも顕著になっているのが教員の人材不足。
実はどんどんこの教員不足は広がっていて、次々とやめているという現状があります。(その分、フリースクールとか、放課後デイサービスとか、オルタナティヴスクールは増えているわけですが…)
そうした時、この教員免許更新制は今までだったら失効でしたが、これからは失効ではなく、休眠状態になり、復活できるようになります。
生涯使える免許になったというわけです。
そうすればしばらく離れていたとしても、教員に戻ることが可能です。
教員だった人が今、仕事をやめて、別な仕事に!という方が多いですが、意外と学校に戻るという方も多いです。
やっぱり子どもと接したいという方は多いんだなと思ったりします。
そのような方に向けて、時間的制限を外したことはある意味、自由が広がって取得する価値が上がった…とも言えるかなとは思います。
誰でも教育に携わっているという意識を持たせたいという想いがある可能性
教員免許に関わる大改革の裏には『誰でも教育に関わっているんですよ』というメッセージが込められているような気がしています。
「学力不問」で「頭数優先」の現状を追認。白旗掲げた文科省。
なんてメッセージもいろんな場所で出ていますが、なんとなくそうではなくて、
「そろそろみんなで行う教育をやる時代が来た」
ということを言いたいんじゃないかなと思うのです。
もうこれからの多様化した世の中では、教員の狭い価値観だけでは、いろいろな世界を届けるのは難しいんじゃないかなと思うのです。
なので、いろんな人が関わり、いろんな世界を魅せて、子どもたちの「やりたい!」を引き出したり、「好きなことで世の中の役に立ちたい!」という気持ちを湧き起こしたりする必要があるのかなと。
教員免許はとてもシビアな問題ですが、このタイミングで変えたというのはニュースだけでは読み取れない意図がそこに隠れているような…そんなことを思う今日このごろです。