ソルティー(@Solty_gn)です。

学校のやっていることは150年前と何ら変わってないという話があります。

最近は新しいデバイスが出てきて、ICTなどを使うようにもなりましたが、それらはごく一部の先生が使っているだけで、ほとんどが黒板とチョーク。

そもそも授業が得意な人は黒板とチョークだけでも十分学びの時間を作れると思っているので、無理にICT導入にこだわる必要はないかなと思っています。

※もちろん、そういう先生にICT使わせたら、めっちゃ最高の学びになるんですがw合わせてICTとは?を読んでもらえると嬉しいです。

でも、最近、学校はダメって言われてしまっています。

どうしてこのような状態になっているかというと、先生たちが子供たちのことを思っての行動に制限がついているような気がしています。

例えば、クラスでイジメがあったという場合、先生が自宅に来て、毎日通ったり、熱いメッセージを投げてくれたりすることが昭和の先生にはあったそうです。

でも、今ってそういうことをしてくれる先生って全くいなくなったなと感じています。

たぶん、これには2つの原因があると思っています。

それは『時間がなくなった』、『何かすると責任の所在を問われるようになった』ということ。

先生たちは時間がない

先生たちは給食の時間ですら休みではありません。

この時間は給食指導中。つまり授業の一つです。

そして、子供たちを横目に見ながらテストの丸付けをしているという状態を僕は学校を支援しながら見てきました。

上から新しいことをやれやれという話が出てくると、放課後はその新しいことや、児童・生徒の所見や、テストの丸付け、よく分からないアンケートなどに時間を取られます。

そうすると一人ひとりの子どもたちに手をかける余裕がなくなってしまうんですね。

何かすると責任の所在を問われる

先生たちは何か子供たちのことをやろうと思うと、『責任』という言葉がついてきます。

教諭の責任は教務に、教務の責任は教頭に、教頭の責任は校長に、校長の責任は市教委に、市教委の責任は県教委に…

次から次へと責任の話だけが伝言ゲームのように流れていきます。

そうすると先生たちはうかつに何かことを始めにくい空気になってしまうんです。

それが子供たちを放置することに繋がったとしても、自分『たち』の保身を先に考えなければならない。

つまり、一人の責任が教育に関わる全体の責任になるという状態なので、何かをしようとは考えにくくなっているということですね。

なぜ学校の先生たちは何かを起こしにくいのか?

というのはここが一番大きい原因かなと感じています。

でも、こういう状態は本当に幸せなのか?とも感じています。

最近、コロナで徐々に自分ひとりでも動き出そうという方が増えてきました。しかし、常に責任との戦いに追われ、書類を出したり、上とぶつかったり大変なようです。

しかし、僕はこういう先生たちにこそ、頑張って欲しいなとも。それが本当に子供たちのために繋がる可能性があるから。