T-KNITの総会が終わった。

ひとまず肩の荷がすっと下りた感じになった。

次の目標はT-KNITの主力となるコンテンツ作りにいよいよ着手する。

アントレプレナーシップ(起業家精神)を育む講座…としていたのだが、モヤモヤしていた。

迷っている人の道標としようと思っていたのだが、

今日相談した人から

「価値が伝わりにくいと思う。この講座が終わったらどうなるのか?は明確にしておいたほうが良いと思う。そこが価値だから」

と言われた。

たしかに。

そう思うと、僕は学校の先生には学校をやめてほしくない。

どちらかというと、先生として志を持って、影響力を持ってもらって、共創できる学校へ変革してもらいたい!

そんな想いを書いていこうと思う。

なぜやめてほしくないのか?

僕がなぜやめてほしくないと思っているかというと、僕自身が学校の先生に救われた経験があるからだ。

評価や、学校のシステムとしては瓦解しているとも大いに感じる。

しかし、人としては違う。

圧倒的な手厚さを持っている人が多いのだと思う。

僕が中学校の頃、記憶をなくしても学校(相談室)に行けたのは相談室の先生がいたからだ。

そして、ICT支援員の時、うつ病の僕に人としての価値を見出してくれたのは学校の先生たちだった。

人としての温かさをたしかに感じたのだ。

その気持ちを普段は見えにくくなっていたり、発揮できないようになっているのは、やはり学校の窮屈さが原因だと思う。

学校からちょっと離れて、先生という色眼鏡で見なければ、ものすごく人の良い、優しい人が多い。

僕はこういう人こそが幸せになるべきだと思っている。

公立学校はみんなの救いの場

そして、もうひとつ理由がある。

やめてほしくない理由は教育の根幹は公教育にあると思っている。

つまり『国として行う教育』が国を象徴とする教育になるということだ。

オルタナティブスクールや、フリースクールも確かに増えている。

増えてはいるが、すべての子を収容することは難しいだろう。

なぜかというと、費用が公教育よりも圧倒的に高いからだ。

お金持ちのエリートの子しか入れない。

今は経済としても落ち込んでいる日本。

こんな日本では、オルタナティブスクールに通える子も少数派だろう。

そうした時に国の援助がある公教育はほぼ全ての子どもが通う学校となる。

理想の学校を作る道としては間違いなく険しいのだが、完璧なる理想の学校を目指すのであれば、公教育を切り捨ててはならないと思うのだ。

日本の教育はある意味すごい

もう一点忘れてはいけないのが、日本の教育はある意味すごいと感じている。

その理由は日本の識字率、読解力、そして、空気を読むなどのノンバーバルなコミュニケーション能力の驚異的な高さだ。

性格として繊細になっているのはHSPと呼び、5人に1人くらいの割合でいるらしいが、性格以外でも空気を読むことに長けている人はたくさんいる。

実はこの空気を読むということは他の国の方々には難しいのだ。

直接的な言葉ではなく、文脈や暗黙知を重視しながらコミュニケーションをとる文化を、ハイコンテクストという。

実は日本の教育はハイコンテクストを養っているとも言えるのかもしれない。

エビデンスは知らんが、ほとんどの日本人ができているということを踏まえるとすごい教育なのだと思う。

抜けているのは一人ひとりを大切にする文化、個としての成長を促す教育だ。