すごいタイトルだと思うんですが、学校の先生の本音を聞いたと思います。
これは対話の先生塾で、とある先生が発した言葉。
「なんで保護者とか地域って、先生の余裕や、時間を作ったらしっかり学ぶと思ってるんでしょうね。普通にサボりますよ。だからみっちり働かせたほうが良いです」
おぉ…、すごい言葉。
性善説に基づいて人は動かないんだよって話でもあるなと感じています。
今回はこの時間を作るとサボるのか?ということを考えたいと思います。
人はなぜサボりたくなるのか?
どうしてここで『サボる』という言葉を使ったのか?
サボるという言葉は、『怠けている』『やるべきことをやっていない』ということに通じる言葉ですね。
ということは逆に考えれば、普段は気を張るほど頑張っているということでもある。
ここで手を抜いてはいけないという思考が確実に入っている。
じゃあ、いつ手を抜くのか?多分、サボっちゃいけないから手はずっと抜けないんじゃないかなって思ったり。
サボったら駄目なのか?サボったら何か良いことはないのか?
じゃあ、サボったら駄目なのか?
まぁ、何を基準に駄目と言うかなんですけど、サボると地域・保護者から叩かれるということはよく聞かれます。
でも、一張一弛という言葉があるように、ずっと張り詰めていたら糸は切れてしまう。
緩めることはとても重要だと思います。
逆にサボったら頭はちゃんと動くのではないか?
このバランス間がとても大切なのではないかなーと僕は思っています。
サボったら本当に人は動かないのか?
じゃあ、サボったら本当に人は動かないのか?というと、ずっとサボるというのはできないんじゃないかって思うのです。
だって、ヒマなんですもの。
勉強はどうして生まれたのか?というと、実はヒマだったからという説があります。
つまり、人が一番苦痛に感じるのは何もしないということをずっと続けることなのではないかと思うのです。
そうすると、時たまサボるというのがずっとサボって良いという状態になった時、人はヒマを持て余す。
その時こそ、学びや、アップデートの機会が訪れるのではないか?と思う今日このごろです。