今日は妻が行っている保護猫のボランティア活動で猫ちゃんと届けに行ってきました。

僕は運転手として行きますが、このような時間があるから一緒に話せる時間ができると思って、意外とドライブを楽しみにしてたりします。

さて、最近、「疲れた」とか「辛い」とかって話をよく聞きます。

たしかに人間の体力には限界があります。毎日寝て、体力・気力を回復させて、また明日エネルギーを使う。

なにかの活動を行なう時、必ず人間は体力と気力を消耗するのだなって思います。

そうした時、同じ疲れでも、充実した疲れだったのか、苦しい疲れだったのか…感じ方が違う時があります。

疲れたといえば疲れたことになる
楽しかったといえば楽しかったことになる

それは自分がどう思っているかによって変わるのかなと思っています。

疲れたを疲れたと言わないで表現する

僕たちは疲れを感じると「疲れた」とついつい口に出してしまいがちです。

でも、それは【疲れ】にフォーカスしているからであり、その疲れによって何を得たのか?に注目していないことが多いのではないかなと。

僕たちは何のために疲れたのでしょう?なにかをしたから疲れた…ということが事実としてあります。

なにかを勉強したり、仕事をしていたり、どこかにでかけたり、食べたり、遊んだり…

まぁ、いろんなことをやって疲れる。

でも、疲れるのは同じだけど、得たものは違うはず。

だったら、僕たちはその疲れで何を得てきたのか?という視点で言葉に出すほうが同じ疲れでも気持ちが良いのではないかなと思ったりします。

疲れを経て得たものを大事にする

例えば、勉強をしていたとしたら、「今日はこんなことが分かった!」と言えばいい。

仕事をしていたとしたら、「今日はここまで進んだ!」と言えばいい。

どこかに行ってきたのだとしたら「今日は楽しかった!」と言えばいい。

自分が何かしら得たものにフォーカスすれば、ただの疲れではなく、充実した疲れに変わるのではないかなと。

そうした充実した疲れに日々を委ねると、自分が毎日意味があって、生きているということ実感できることも増えるのではないかと思います。

僕の場合も、毎日毎日、なにかをやっています。そして、それらはすべてTrello上で管理して、終わったものはアーカイブして、整理し、最後にブログに書くことで振り返りをする。

こうした毎日を過ごしていると

「あぁ、今日も自分は頑張ったんだな」

と自分の頑張りを自分で認めることができるような…そんな気がするのです。

言葉は自分を作る。自分が心地よいと思う言葉をチョイスする

もちろん、うまく行く日ばかりではありませんが、そうした成功も失敗も、自分のこれからの人生を充実させていくために起こっていることなんだと思えば、幸せに思えるなーと。

言葉は自分の心を作っていきます。

だから、自分の心を作るためにも、自分が心地よいと思う言葉を使って、自分を満たす。

そういう毎日を繰り返して、自分を大きく成長させ、心を安定させる。

それが毎日必要なことなんだろうと思うのです。