真面目で『普通』の子ども。そんな幸せな日常はいじめによって壊れた

時代は目まぐるしく変わっていく。昔は当たり前だったものが消えて、2021年現在だと時代の移り変わりになってきました。

物を持つのが当たり前、結婚して当たり前、定年まで働くのが当たり前、男が働くのが当たり前…

お金を持っているほうが幸せ、たくさんの友達がいるほうが幸せ、家は一軒家のほうが幸せ、休みが多いほうが幸せ…

このような今まであった当たり前や、幸せの価値観が大きく変わっていっていると僕自身も感じています。

そんな時代に自分がどうして自分の生きてきた過程を書こうかと思っているかというと、通常では考えられない生き方をし、誰も味わったことのない経験・体験をしてきていると、よく他人から言われていたからです。

僕自身の身体には記憶障害、うつ病、ADHD、バセドウ病などさまざまな困難が降り掛かっています。

そんな中、いろんな人からは

ぱそらっく

いやー、なんでそんなに人生楽しそうなの?その話をもっと聞かせて欲しい!面白い!

全然見世物にする気はないんだけど(笑)。

でも、少なからず自分の人生はとてつもなくドラマティックで、波乱万丈で、面白く見えるようです。

そんな話をよくされるようになったので、過去の失敗・成功の中で一番感情が動いたところや、強烈に印象に残っていることをおもしろく読み進めていけるようにちょっとドラマティックに書いていこうと思っています。

世の中にはこんな変な人もいるんだ、まだまだ人生捨てたもんじゃないかもしれないって思ってもらえて、何か悩みを解消したり、立ち上がるキッカケになったらって思います。

最初は小学校時代〜中学校時代のエピソードからお話していきますね。

真面目で『普通』の子ども。どんな人とも友達になれると思っていた

茨城県の某市。

茨城には自然がいっぱいありますが、都会すぎることもなく、自然すぎることもないような場所が僕が生まれ住んだ場所です。

笠間の風景

僕が通っていた小学校は田舎なので、2クラスになることが滅多になく、学校まで歩くのも家から50分ほどかかります。

小学生には大変な道のりだろうと思うかもしれませんが、慣れるとそうでもなく、むしろ友達と一緒に過ごす道のりは幸せを感じるほどでした。

表に出るのは嫌い。3番か4番か、もしくはそれより後ろが好き

そんな自分の小学校時代は特に可もなく、不可もないという平凡な子でした。

テストでも悪い点をそんなに取ることはなかったし、先生から怒られるということをするわけでもなく、宿題もとりあえずこなしてくるという。

好きなことはゲーム。

スーパーファミコン

一人っ子だったこともあり、親からは大事にされていましたが、遊んでばかりでした。

表に出ることはなかったし、リーダー的な気質があったわけでもありません。

なんか困っている人がいたら放っておけないくらいの優しさはありましたが、基本的には誰かがやっていることにくっついていて、自分は後ろから2番…ではなく、3番から4番くらいにいたら良いなって思う人間でした。

つまりは至って真面目で、悪いところはなく、特筆するとこもあまり見当たらないような普通な子どもです。

1クラス40人。全員が友達

長い通学路で語り合ったり、1クラス40人だったりで、人間関係はとても良好。

男女関係なく、みんな仲良い存在でした。

「おーい、たかしんち行こうぜ!」

毎日言われるこの言葉。

全国のたかしさんなら一度は言われるであろうこの言葉は、僕にとっては心躍る瞬間でした。

昔から遊んでいた近所の一個上の幼馴染の友達も加わり、一斉に遊びます。

自分の家は小さな秘密基地のような存在でした。

みんなで田舎で遊ぶ

男友達は自分の部屋の窓から入ってきて、いつのまにか溜まり場となります。

6畳間の部屋に子どもが毎日4〜6人はいるという状況が生まれ、それぞれがおもいおもいに過ごします。

ある人はテレビゲーム。ある人は外でサッカーや、ドッチボール。

みんなで裏山や、川にでかけたりと、有意義な学習をしたなと思います。

中学校に行くと陸上部へ。期待されるようになる

中学校は自転車で20分ほどかかる公立の中学校。

4つの小学校から集結する大きな中学校であり、1000名を超えるほどのマンモス校と言われる学校でした。

まぁ、子どもたちにはマンモスだろうが、コンドルだろうが関係ありません。

中学校に入ってからは付き合う人間が多少変わったりもしましたが、基本的には今まで通り。

中学生になると行動範囲が広くなり、20キロ離れてるくらいなら自転車で遊びにでかけたりもしました。

部活は「まぁ、ぶっちゃけどれでも良いかな」って思っていたんですが、物をそんなに揃える必要がないことと、道具なしでサクッとできるものと言ったらこれしかないなと思っていたし、走るのはそんなに嫌いじゃないということで、陸上部に決定。

陸上のトラック

すぐに先輩たちとも打ち解けて、特に仲良くしてくれたのは幼馴染と同じクラスだったK先輩。

K先輩

きみ、早いねー!俺たちと同じくらいの速さで走れるなんて…これは今年の大会が期待できるよ!

今までは冴えない自分だと思っていたので、こんなことからちょっと期待されていることが嬉しく感じたものです。

中学校では人の多さや、自分自身がどう周りと接していけば良いのか悩みながら、日々頑張っても頑張っても点数が下がっていく数学と英語に不安を覚えつつ、友達や部活を中心に楽しい日々を過ごしていました。

いじめが起こる。人からの妬みがストレスになる

大会ではうまく結果が残せないながらも、とにかく俊足だった自分。

タイムでは100mを11秒に迫るほどのタイムを叩き出し、このままいけば大会でも記録を残せるのではないか?と期待も高まっていきました。

しかし、そういう目立ったことをすれば周りから出る杭は打たれるもの。

練習中にサッカー部のまったく知らない先輩から呼び出されました。

怖い先輩

おめぇ、ナマイキなんだよ。

いや、あなたのほうがナマイキですけど、誰お前?

そんなことを言える勇気なんてあるはずもなく、モヤモヤとしながら練習に戻る。

A君

あの先輩誰?なんだって?

同級生で同じ陸上部のA君が声をかける。

「いや、分からんけど、いきなり文句言われた」

冷静を装っているけど、冷静じゃない。そんなことは周りから見ても分かります。

今までこんな強烈なことを言われたことがなかったので、とてつもないストレスを受けました。

目立ったことをしないほうが良いとも思ったのか、陸上のタイムも落ち気味に。

この時からいろんな歯車が狂い始めていきます。

休みがちになり、教室との関係も悪化してしまう

教室中の全員が敵に思えてしまう現象

あの「ナマイキ」事件から、気持ちがふさぎ込みがちになり、教室内の関係も悪化。

なぜかクラスで一番やんちゃっぽい人が僕に目をつけてきて、クラス全員でからかい始めるという事態も起こりました。(あっちとしては遊んでいる気なんだろうけど)

ひそひそ、こそこそしている言葉がすべて自分をダメな人間だと噂しているような気持ちがだんだん高まっていきました。

「なんでこんなところに自分はいるんだろう」

クラスから拒絶されると、世界から拒絶されているような気さえしてくる。

自分がなぜこんな辛い気持ちになって、学校に行かなければいけないのか、本当にワケが分からなくなりました。

先生も見かねて助け舟を出します。

Y先生

ほら、ソルティー君が嫌だと言っているでしょう!みんなで嫌だという声を聞いてあげて!

いや、先生、その助け舟の出し方はどうなんだ…みんなの前に立たせて自分に何を言わせる気なんだ。

いじめるのやめてくださいと言えばいいのか。

仲良くしまぁ〜す

まったく仲良くする気なんてない気だるそうな声。クラスの全員がそう言ってるわけじゃない。

でも、それでもクラス全員が信じられない気がしてきてしまう。

「世の中にはもっと辛いことが起こっている人はいる。でも、そんなこと関係なく、自分は今、とてもつらい。」

わだかまりが解けるどころか、自分で自暴自棄になっていく毎日。

眠れない。休みたい。むしろここから逃げ出したい

喘息も患うようになり、夜眠れない日々が続きました。

4時間布団に入っても眠れないというのはまさに地獄。

この眠れないのが毎日になっていく。

だんだん学校を休みがちになり、仮病を使うようになりました。

朝、一生懸命に体温を上げ、なんとか学校に行かないように抵抗する毎日。

今、思えばこたつに入ってうずくまって、熱を計って、本当に子どものささやかな抵抗だなって思います。

当然ながら、親はなぜ休むのかをよく理解していません。

早く学校に行きなさい!

もう、親からこんなセリフを毎日もらうのはうんざりでした。

もう死んだほうがマシなんじゃないか、そんなことを考え始めて、自分を封じ込めるようになり、笑顔も少なくなってきた頃、さらなる事件は起こります。

次回:記憶が消える病気『解離性健忘』の体験談

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