それを すてるなんて とんでもない!

この話は特にたくさんの人に話し、聞いたみんなに衝撃を与えてきた。

一体こんなにもったいぶって何を話すのか?というと、記憶が消えたという話だ。

前回、いじめは人を殺すでも話したのだが、記憶が消える障害『解離性健忘症』になった。

記憶は簡単に捨てられない。

ドラクエで言うと、『それをすてるなんてとんでもない!』という神からの掲示があって、絶対に捨てようと思っても捨てられないものだ。

ところが僕はそれを捨ててしまった。

ストレスというものは溜まりすぎると、人間が絶対に超えてはならないと言ってくれている『理性』を壊してしまうのだと思う。

捨てたあとはもうズルズルと周りを巻き込み、迷惑をかけた。

でも、ありがたかったのはそんな状態でも親は「あんたなんて生まなきゃ良かった」なんて言わなかった。

一生懸命、尽くしてくれた。

記憶が分からないなりに自分はいろいろと復帰しようとしたが、結局元には戻らなかった。

「これからどうしよう」

そんな時、自分の人間の心を取り戻させてくれたのがゲームだった。

ゲームを通して自分の世界観の構築ができ、人間の心情を理解できるまでになった。

今回はそんな記憶をなくした僕がどう再生していくのか?ってストーリーを話そうと思う。

突然、解離性健忘症になる

解離性健忘症とは

まずはじめに解離性健忘症についてお話しようと思う。

記憶が何かを忘れるということは生きていればたくさん起こるけど、大切な誰かを突然思い出せなくなるという経験がある人はほとんどいないんじゃないかな。

解離性健忘症とは朝起きたら突然記憶がなくなるっていう障害。一時的なことが多いけど、長期に渡ることもあるのだ。

解離性健忘とは、トラウマやストレスによって引き起こされる記憶喪失(健忘)のことで、自分にとって重要な情報が思い出せなくなります。

記憶に空白期間がみられますが、その長さは数分から数十年にも及ぶ場合があります。
考えられる他の原因の可能性を検査で否定した後、症状に基づいて診断を確定します。
記憶想起法では、催眠と薬を用いた面接を行って、記憶の空白期間を埋める助けをします。
この病気の引き金となった体験に患者が対処できるよう手助けするために、精神療法が必要になります。

最近または昔の体験をまったく覚えていなかったり、部分的に思い出せなかったりすることを健忘といいます。健忘の原因が身体的な異常ではなく、精神的な異常である場合には、解離性健忘と呼ばれます。

解離性健忘では通常、以下に挙げるような正常時には意識的に自覚している日常の情報や、自分自身の過去についての記憶が失われます。

自分が誰なのか どこへ行ったか 誰と話をしたか 何をし、何を言い、何を考え、何を感じたか

往々にして失われた記憶は、小児期の虐待のように、トラウマになったり強いストレスを感じたりした出来事に関する情報です。ときに、忘れてしまっていても、その事実がその人の行動に影響を及ぼし続けている場合があります。

解離性健忘 - MSDマニュアル家庭版

これは何か物理的なショックがあって脳が混乱するのとは違っていて、トラウマや、葛藤を避けようとし、今までの自分から解離して別人になってしまう障害なのだ。

解離性健忘

当時、とても健やかに育っていたことは小学校のアルバムからも、友人の話からも分かるけど、そんな記憶がバチーンっ!って全部一気になくなってしまったのだ。

誰も思い出せない。何も思い出せない

解離性健忘が起こったのは中学1年生の2月。

とても良い天気の晴れだった。

「遅刻するわよ!早く起きて学校に行きなさい!」

もう人間やーめた

声がする。

でも、ここになにか足りないものがある。

『いつもの』という概念が抜けていたのだ。

誰が、何の目的で、僕に対して「起きなさい」と呼びかけるのか?

これはゲーム開始時だったら壮大の冒険の幕開けだった。

でも、これはリアルだ。

布団から這い出て起きたはいいものの、さっき呼びかけられた学校が分からない。

(学校に行くとはなんだ?)

(そもそもここはどこなんだ?)

(さっきの声は誰なんだ)

不思議なことに言葉を発し、理解することはできるのだ。

ただ、分かるものと分からないものが入り混じっていて、記憶がひどく混濁した状態だった。

恐る恐る階段を降りて、リビングに行った。

食卓には食事が用意されていた。

朝食

しかし、ご飯や味噌汁は分かるのに、黄色い物体がどうしても思い出せないのだ。

(この黄色いのは何かなぁ。食べていいのかなぁ。)

いつまで経っても食べ始めない子の姿を見て、母が声をかける。

「どうしたの?食べないの?」

僕も渡りに船と思って返事を返す。

「いや、この黄色いものは何かな…って」

もうなんだか分からないので質問するしかなかった。

当然、母は目を丸くしながら質問に答えてくれる。

は!?何言ってるの?卵焼きでしょ!」

「そうか、卵焼きか。」

卵焼きだということが分かり、僕は一安心。

でも、まだまだ疑問はつきなかった。

不思議そうな顔をしている僕を見て、眉をひそめながら母は聞く。

「朝から寝ぼけてるの?」

「そうかもしれません。ところであなたは誰ですか?

まるで異世界に迷い込んでしまったかのような鋭い質問。

母は目を皿のようにしながら答えます。

ちょっと!どうしたの?!本気なの?本気で言ってるの?」

心配してくれているのは分かったが、本当に自分がどうして良いか分からなかった。

モヤモヤとした気持ちを吐き出すように僕は言葉を返す。

「よく思い出せないんです。ここはどこか、あなたは誰か、今、何をしているのかも。」

最初に母に「あなたは誰ですか?」と言ってしまったこと…

これは鮮明に覚えていて、今でも後悔しているシーンだ。

よく思い出せないという僕に周りはとにかくてんやわんや。

担任の先生に電話して、父に電話して、病院に電話して…

とにかく母は必死になっていた。

ドタバタする母とのんびりする自分

僕はとにかくボーッとするしかない。

卵焼きを食べ、

「うん、うまい。」

そう言いながら味を覚えていくのだった。

家族の関係構築からスタート

当然のことながら学校はお休み。母も仕事はお休み。

僕自身は何をして良いかも分からないので、興味があるものをあちこち触り、フラフラとするしかなかった。

この頃、特に面白かったのは

空は心を和ませてくれる

空にはいろんな形があり、見ているだけで飽きなかった。

雲の形を見て、何かを思い出せる…というワケではなかったが、心が落ち着くのだ。

(これからどうしようかなぁ…)

身体に染み付いた動作は忘れていなかったので、排泄や、食事など最低限の生活はできた。

しかし、それだけでは今の人間社会を生き抜くことができない。

人に関しては絶望的で家族、友人、親戚。そのすべてを綺麗サッパリ忘れていたのだ。

「人様にこんな姿を見せたら何を言われるか…外には出歩かないでね」

母はしきりにそう言っていた。

田舎のネットワークというのは驚異的だ。

誰かに話したことが明日には村中に広まってしまう。

ウイルスのようにどんどん噂が独り歩きをして、もう収拾がつかなくなってしまう。

だから、親はそれを未然に防いでいたのだ。

大人になってからはその大事さは痛いほど分かる。

でも、当時としてはつまんなかったんだよね…

思い出せないので、両親ともなかなか会話がままならない状態だった。

特に親なのに親だと思えないことがかなり深刻な状態で、最初はとても他人行儀になっていた。

まるで借りてきた猫のように会話中はとにかく押し黙る。

人間との会話ができないので、自分の感情はまーーーったく育たなかった。

両親は二人とも泣いていた。

こんなになるまで子どもを放っておいたことか、これからの不安か?

そんな姿を見て、僕自身も言いようのない悲しみが溢れて自然と涙を流した。

家族だったとして、この状態を解消するために大体一ヶ月はかかってしまった。

解離性健忘症になってからしたこと

病院に行くも異常はなし

最初はとにかくいろんな病院につれていかれ、CTスキャンにかけられた。

CTスキャン

そのすべての病院で言われたことは

「異常なし」

まぁ、どこもぶつけたりしていないんだから、異常なんか出るはずがないのだ。

「こんな状態で異常がないなんておかしいでしょう!!」

親はこう言っていたが、CTスキャンなんかで探せるほど簡単な話ではなかったのだと思う。

異常があったのは身体じゃなくて、心なのだから。

また、解離性健忘症という障害は当時ではかなり珍しかった。

病院でもほとんど認知されていないものだったのだ。

だから病名らしい病名も付けられなかったんだろう。

たぶん意味なんかはないと分かっていながら、何かをするしかない医者。

気休めにIQテストなんかもやらされたのだが、結果は140。

「悪いどころか、むしろ頭がいいですね。自然と元に戻るのでは…?」

医者もお手上げ状態だ。

病院では元には戻らず、母も落胆した様子で途方に暮れてしまった。

昔の家族のアルバムを見て、親を刷り込む

(このままではさすがに良くないよなぁ…)

なんて思っていたら、帰ってから親が昔のアルバムを見せてくれた。

出会った頃や、僕が生まれた頃…

(おぉー、こんな感じだったんだー)

懐かしいという感覚よりも、自分がここにいる意味の大切さをまざまざと感じられた。

特にビデオテープなどで動いている自分を見せられた時は、記憶はないけどたしかに自分は存在していて、まったく別の人格がこの身体に宿っていたことを感じさせてくれた。

昔の映像を見る自分

結局、5冊くらいのドデカイアルバムと、2本のビデオテープを見て…

記憶が戻るというよりは「これが親なんだ」と刷り込む手法としては最適だったと思う。

ずっと昔からこの人たちは僕を育ててくれてたんだという気持ちがふつふつと湧き上がってきた。

小学校のアルバムを見て、友人を刷り込む

(アルバムで親が刷り込みできるなら、人はそこで定着できるかもしれない)

そう思いたち、アルバムをいろいろ探したところ、小学校のアルバムを発見!

小学校のアルバム

小学校の友人は仲良かったけど、ほとんどが思い出せないままだった。

この小学校のアルバムがあったおかげで小学生の頃の友達を刷り込むことができたのだ。

中学校に行って、両親を安心させたいと感じるようになっていた僕はとにかく小学校のアルバムを見て

「こういう友達がいる、こういう友達がいる…」

まるで英語の単語帳のように一人ひとりの顔と名前を刻み込んで覚えていく。

まぁ、結果的にはほとんどの友人と話すことはなかったのだが、記憶をなくして一番最初に一生懸命取り組んだのが小学校のアルバムを見ることっていう…。

こんなアルバムの使われ方は世界見渡しても僕だけなんじゃないかなと思う。(笑)

百科事典を読み切るという最初のチャレンジ

(小学校のアルバムも見飽きたなぁ)

何度も毎日毎日、しかも四六時中アルバムを見ていても飽きがくるものだ。

(つまんないなぁ。)

夕食時、父にそんな話すると、

「部屋に百科事典があるから読んでみなさい。いろんなことが分かるよ」

この百科事典の量がすごくて、あ〜んまで揃っていた。

『あ』だけでも一冊500ページくらいある本。

(一体いくらかけて揃えたんだろうなぁ)

百科事典を読み込む

もちろん、購入した本人もここまで百科事典を読み漁ることはしなかっただろう。

ただ、これだけの量があるのだ。自分が知らないこともきっとたくさん書いてある。

(どうせ暇だし、やれるだけやってみるか…)

やることはない。覚悟を決めて読むだけ。これが僕の最初のチャレンジとなった。

1ヶ月はかかっただろうか…

とんでもない量だったが、すべて読み切った。

(読み切った!読みきったぞ!!)

何かが分かったとか、覚えていることとかはほとんどない。

しかし、何かを頑張って最後までやり遂げる

それを最初に実感できたのはまさにこの百科事典を読むことだった。

戻らない記憶。ゲームから人間との繋がりを取り戻す

記憶が消えてから、人と会ったり、話したりということにちょっとした恐怖を覚えるようになっていた。

(僕はちゃんと話せるだろうか?変な人だと思われないだろうか?)

記憶が消えた時点ですでに変な人なのだが、僕は記憶をなくしてからは引っ込み思案になり、出かけることができなかった。

この原因は親も神経質になってしまったことがある。あまり人前に僕を出そうとはしなかった。

「学校に行けてないだなんて…周りになんて言われるか分からないんだから外には出ないでね」

僕はこの言いつけを守って日々を過ごしていたのだ。

見世物にしたくないという気持ちと、世間から後ろ指差されたくないという気持ちが親にあって、その犠牲になっていたのかもしれない。

(なーんかつまんないよなぁ。何かないかなぁ)

今の自分は見た目は13歳でも、心は0歳の赤ちゃん。

いろんなものに触れたい、感じたい。

この窓から見える景色、どれだけ広大な世界が広がっているんだろう。

どんな物や、人と出会うのだろう。

そこから家の中を物色し始めた。

今までは親が操作しているもの以外は極力いじらないようにしていたが、どうせ出れないなら…ということで家の中にあるものや、庭にあるものを探ったのだ。

そんな中、唯一思いっきり外に出れる方法を見つけた。

(これはなんだろう?)

それはゲーム機、プレイステーションだった。

プレイステーション

灰色の箱。何やら円盤を指すところがある。

すでに入っているものがあるので、電源を入れてみた。

それが僕の大冒険の始まりだった。

ロールプレイングゲーム(RPG)という冒険を楽しむストーリー形式のゲームが入っていたのだ。

恐る恐るコントローラーに手をのばす…

いろんなボタンがあったので、手当たり次第にボタンを押した。

十字キーを使うと、自由にキャラクターを移動できた。

喋りこそそんなにしなかったが、文は読めたので、人の感情が入ってくるようになった。

(自分がこの世界に入ったみたいだ)

ドラマなどは親と一緒に観ていた。

でも、ドラマは一方的だ。自分で何かをさせたりすることはできない。

自分がそこに行って、何か自分が考えたように動く、つまり主体的ではなかったのだ。

あくまでも、用意された劇を観て、自分がどう思うか?だけだったのだ。

しかし、ゲームには善と悪、さまざまな人間模様が複雑に絡まる観劇要素がありながら、自分自身が主人公となって、自由に旅することができた

自分が行きたいところにも行けたし、悪いとかヤバいとか思って一瞬二の足を踏んでしまいそうなこともできる。

僕にとってこのゲームの世界は仮想空間でもあり、現実空間でもあった。

ゲームは悪だと思っている方もいるだろう。

でも、当時の僕はゲームを通じて、普段できない行動や、ストーリーを観ることで人間の感情を教えてもらったのだ。

スターオーシャン2

幸い、言葉を忘れていなかった僕にとって、これが外の世界であり、冒険であり、人間との触れ合いだった。

(これをやったらどうなる?こんな選択をしたらどうなる?)

何が良くて、何がダメなのか?

ゲームがあったからこそ、人の大切な気持ちを知り、悪い行いと良い行いを見定められるようになった。

ゲームならではの強烈な選択肢
ゲームだからこそ選択できる選択肢

そして、時間だけはあったので、とにかくレベルをあげて、そのほとんどをやり尽くしていった。

(強くなるってのは本当に良いことだ。できないことができるようになっていく)

いろんなアイテムを収集し、最大のレベルまで上げる。

理想の生き方を考え、弱い自分から段々と強くなっていくゲームの自分

そこには爽快感達成感が入り交じっていた。

ふと、そんな強くなっていくキャラクターたちを見て

「僕もこのままで良いんだろうか?自分も少しずつ外に出たい。」

弱い自分と決別するために、少し前を向こうと思い、数ヶ月後に学校に向かえるようになった。

なくした理性を回復するには自分の行動に自信をつけさせる

今回の話で分かったように、大事な『理性』を捨ててしまって、何もかも分からなくなって絶望的な状況からでも、自分の行動に自信を付けさせることはできると思う。

そのために大事なのは2つ。

まずはやらせて、失敗させる

親は病院に連れていったり、百科事典を読みなさいと言ってくれた。

必死だったのもあるけど、僕ならできると信じて言ってくれたと思う。

何もないと思っても、その期待に僕は応えたかった。

そこから小さな自信に繋がっていった。

もっと主体的になると、ゲームがあった。

学校を休んでいる僕が、ゲームなんてなんでやるんだ!って言いたくなってしまう親もたくさんいると思う。でも、親は止めなかった。

ひたすらゲームばかりやっている僕を止めなかった。

そして、僕はゲームから学び取った。

『成長することはできないことをできるようにする。コツコツやっていけば良い。負けたとしてもまたトライすれば良い。大事なのは諦めないこと』

諦めなければ強くなれる

絶望的な状況から脱するには、自分が前を向いてコツコツ積み上げていくしかない。

そんな人間として大切なことに気づかせてもらったと思う。

すべての出来事に意味を自分でつける

親が「外に出したくない」という言葉を使って、鳥かごの中の鳥にしていたのは事実だ。

しかし、外に出したくないという想いがなければ、僕はゲームをしなかったかもしれない。

僕はゲームに出会ったからこそ、人間との繋がりや、自分の行動に少し自信を持てるようになった。

つまり、どんな出来事にも意味がある…いや、どんな出来事であったとしても自分で意味を付け、肯定的に捉えることはできると思う。

悪いことではなく、このための伏線だった…。

初めて僕が『プラス受信』ということをした瞬間だったと思う。

これは大人になってもとても大事な考え方。

良い、悪いを付けているのは本人。その本人がどうプラスに受け取って、成長の糧にするか?

それは本人が決めて良いということを学んだ。

学校や、家庭では臭いものに蓋をするようになっていることもあると思う。

でも、失敗が多くの成長を生む

見える範囲での失敗だったらよほどの大きい失敗じゃない限りはフォローできる。

失敗は100の成長が見つかる。

そんな進んで失敗できる環境を作るのも大事だなと思う。

次回

ここから学校に行く自分と周りとの付き合い方での葛藤が始まっていくのです…。

次回作成中。

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