他人に本気で夢を語ってはじめて自分の志がかたまる
目の前に全力を尽くしても根本的な解決にならない
ICT支援員は契約社員でした。
天職だと思っていたのですが、予算もなくなり、転職せざるをえませんでした。しかし、他の仕事に転職しても、学校からの要請は収まりませんでした。
「こんなこと頼むのは悪いとは本当に思ってるんだけど…」
ICT支援員になって気づいたのですが、先生たちはあまりにも多くのものを抱えすぎている。
このままで本当に良い教育ができるのか?僕一人が動いたところで何かが変わるのか?
いや、それでも困っている人がいるなら一人でもやってみよう!
それから僕のボランティアの日々が始まりました。
呼ばれた学校に行き、今まで通りICT支援。
「お金は出せないんだけど…」
と申し訳なさそうにする先生。
だけど、僕はお金よりももっと大事な未来を見据えて手伝いをしていました。
しかし、支援を繰り返せば繰り返すほど本当に焼け石に水だと言うことが分かってきます。
本当は子供と接したり、見る時間を増やして欲しいのに、この作業が終わったら次、その作業が終わっても次とずっと校務に追われている…。
これは全国で困っている人がいる事案で、しかも似たようなことなんだけど、学校毎に困りごとがちょっとずつ違うという厄介なもの。
僕はブラック企業だったらすぐ辞めなさいって言うけど、ブラック学校だったら辞めなさいって簡単に言えない。それは学校の先生も分かっているんです。
自分から何か新しいことをやろうとすると迷惑と言われ、職員室の風通しも悪い、保護者からのクレームがある、上からの監視も厳しい、たくさんの子供たちの人生を請け負っているという重圧。
[aside]先生の見えないルールの正体
文部科学省、経済産業省、教育委員会、学校、それぞれの意見が統一されていないことがあり、その上でクラスの意見もあり、統一は全国統一と同じくらい難しく高い壁です。[/aside]
その中でも誰も評価してくれない頑張りを孤独に繰り返さなくてはならない。
これが民間のブラック企業と学校の大きな違いでした。
「これはもっと大きなことを起こさなければならない。
このままでは教育は死ぬ。
先生が幸せになっていないのに、子供に本当の幸せは訪れない。」
そう思って、もっと自分自身で挑戦する道、フリーランスになりました。
自分の夢を他人に伝え、自分の志が固まってくる
自由になる決意をしたものの、当時はフリーランスとか、個人事業主とかそういう言葉でさえも何も知りませんでした。
フリーランスになったものの、お金はない…というか仕事がない。
しかし、信念はありました。
「学校の先生を助けるってことを仕組みにしたい」
これをまずは全力でやってみようと思い、最初にやったことは東京の異業種交流会に出ることでした。
フリーランスってそもそも何か?ってことを知りたかったので、
フリーランスセミナーってものに出て、学校の先生たちを助けていきたいって夢を語ってみました。
最初は「変だな」って思われると思ったのですが、
「きっと先生たちは喜んでくれるよ!」
って言ってくれて、少しずつ自信が持てるように。
この時、他人が他人の夢を応援する仕組みってすごく良いなぁって肌で感じました。
そこで初めていただいた仕事がWebライターって仕事でした。
今までブログをやっていて、ブログから稼ぐって考えはまったくなかった私でしたが、これが仕事になると知った時はこれまた衝撃がありました。
しかし、何となくフリーランスを始めてしまったので、稼げるようになっても何のために働くのかが分からなくなってきていました。
1年経った頃には自由になるためにフリーランスになったのに、まったく自由になっていないということを実感していました。
もしかしたら人脈が足りないのかもと思い、茨城の異業種交流会出て夢を語りましたが、
「ここはみんなが楽しくお酒を飲むところなんだ。
お前のようなやつが仕事を探しにくるところじゃないぞ。」
と言われ、そこでもまた愕然。
「茨城ってこんなに閉鎖的で、他人を助けるってことに疎い地域だったのか」ってめちゃくちゃ思い詰めました。
しかし、捨てる神あれば、拾う神アリ。
「キミに合わせたい人がいる」
と、たまたま紹介していただいたのが
いばらきドリームプラン・プレゼンテーション(通称:ドリプラ)というもの。
夢を語るとみんなが応援してくれるというすごい仕組み。
同じ夢を語ったら「イイネ!」「もっと夢を膨らませよう!」という声をもらって、「ここなら何のために生きるのかが見つかるかも」と思って出場します。
正直言って、ここまでは本気って何なのか分からず、やりたいことに制限がついていました。
でも、毎日いろんな人に会って話を聞いてもらい、セミナーで刺激を与えられ、良い点をすべて吸収していった時、私が本当に大切にしていたものが見えてくるようになりました。
「みんな誰かにとって価値がある」
普通になりたいってずっと思っていた私でしたが、普通なんかなかった。
自分らしく生きれば良い。そうすると必要な誰かが僕自身を見つけてくれる。
みんな誰かにとって価値がある。
私はここで「地域の力を集めて学校の先生を助けたい」って夢の発表をしました。
ありのままの私を全部伝え、「失敗しても良い。自分の軸は見つかったから。」そんな思いで発表をしました。
会場には200人以上の人がいて、私の体験を聞いてボロボロと涙を流す人たちがいて、本当にドリプラを通じて価値観がひっくり返るくらい変わりました。
ドリプラを経てから仕事の価値観が変わり、
「やりたいと思った仕事は自ら創り出す…ッ!!」
そんな創業をメインに活動するようになりました。